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部下が「ちゃんと」としていないと、パワハラしたくなる人

家でも無自覚、職場でも無自覚な人

家で無意識にやっているその癖が、会社で自分は「ちゃんと」としているつもりでも、ついうっかり、職場で出る人っていますよね。

あなたは、部下が「ちゃん」としていないと、イライラしてしまいますか?
最近、私が気になるこの状況を「ちゃんとしないといけない病」名づけ、
略して「ちゃんと病」とパワハラについて考えます。

親が子供をしかる場面で聞こえてくる
「ちゃんとしなさい!!」
このコトバ、考えれば、考えるほど、「病」なのではないか?
と思うのは私だけでしょうか?

家では、お父さん、お母さんが子供に向かって、
「ちゃんと、宿題しなさい」
「ちゃんと、歯を磨きなさい」
「ちゃんと、玄関では靴を揃えなさい」
よく、こんな声が家庭から聞こえてきます。

会社にいくと、上司が部下にむかって
「ちゃんと、しろよ!」
「なんで、ちゃんとしないんだよ!!」
「もっと、ちゃんと仕事しろよ!!!」
よく、こんな声が職場から聞こえてきます。

「ちゃんとしなさい!」という病

この「ちゃんと」って何でしょうか?
そんなことを言うあなただって、若かりし頃は、胸を張って「ちゃんと」とした仕事をしていたのですか?と言いたい。そこは一旦脇に置いて、部下には「ちゃんと」を要求する人が職場には多いように思います。

あなたは、どうして部下に「ちゃんと」して欲しいのでしょうか?
そもそも、「ちゃんと」の基準って、一体、誰が測った基準なのでしょうか?
何を、どうして欲しいのですか?どうなってもらいたいのですか?

「ちゃんと」は、まるで「一切の反論を許さず、私の言う通りしていればいい」的なメッセージを言い換える、便利な言葉のようにも感じるのです。そして、そのなかば強制的な指示命令を「ちゃんと」という言葉を使って押し付けるのです。
最近、よく聞こえてくる不平不満を「パワハラ」というコトバで訴えるのと同じ構造のような気がします。

パワハラ上司はコミュ症か!?

 大きな声では言いませんが、具体的に、何をどうして欲しいのかを言わない限り、それは「コミュ力」がない証拠だと思います。
よく「コミュ症」という言葉を聞きますが、「ちゃんと病」も「コミュ症」の一種のようなもの。
 上司が、自分の意見を部下に受け止められるように、部下が具体的な行動をとれるように想いを伝えられない症状に、かかっていることが自分でも分からなのかもしれません。

「ちゃんとしろ」と言われた相手は、反論できません。
「だって、でも」 子供も部下も反論できません。
口答えをした日には、散々な目にあってしまいます。
部下の抵抗は、面従腹背ですね。

昭和も令和も「ちゃんと」してきた!?

 ここだけの話、私も、暗い過去があります。
小学2年生のとき、ある親父の行動に腹が立った私は、舌打ちをしたことがありました。 激怒した親父は、私の身体を突然ヒョイと持ち上げ、自宅にある納屋に閉じ込め、鍵をかけました。真っ暗で埃臭い納屋の中に、数時間閉じ込められた経験があります。
泣き叫んでも、誰も助けてくれません。いまでは、「THE虐待」ですね。
昭和はこれが許されたのです、、

最後には、なんとか納屋から出してもらい、私が「ごめんなさい」と泣き叫ぶ顔を見て誇らしげに「これからは、ちゃんとしなさい!!」といった言葉と満足感に満ちた顔が、今でも忘れられません。何回も閉じ込められました。

この状態を親は「コミュニケーションがとれている」或は「躾が成功した」と思っているから情けない。これでは「親の言うことが当たり前。褒められることをすることが当然 」がいつの間にか刷り込まれます。
そして、親の目を気にして生きる、呪いがかかるのです。
そして、上司や先輩や周囲の目を気にして生きる、呪いがかかるのです。

これに似たような経験をした、50代以上の皆さんは、思い当たる苦い経験はないでしょうか?

パワハラ防止のはじめの一歩

「ちゃんとしなさい!」
この呪いのようなコトバは、形を変えて令和の今でも、職場で、家庭にも潜んでいるように私は思います。
 部下の可能性を信じた上で、「相手の言い分にしっかりと耳を傾ける」ことや、伝える言葉を「具体的に、具体的」に扱うといった、どのコミュニケーションやコーチング本にも散々書いてある、当たり前のことが、頭では理解していても長年の癖で使えない人がいるように思います。

「ちゃんと」が普段使いになると、いつかその一言がエスカレートして「パワハラ」になる可能性があるかもしれません。注意を払いたいものです。

パワハラ防止のためにすべきこと。
今日から部下との会話に「ちゃんと」を使わないことを決めて、
一緒にはじめてみませんか?

料理には「ちゃんと、ちゃんとの味の素」
指導には「ちゃんと、ちゃんとの愛が基」

おあとがよろしいようで。