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オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題 【6回/最終話】 正しいことを言う人ほど辞めていく会社

「それ、おかしくありませんか。」
職場で、そう思ったことはないでしょうか。
ルール違反。
品質管理の不備。
患者への危険な対応。
コンプライアンス違反。
ハラスメント。

普通に考えれば、そうした問題を指摘する人は組織から守られるべきです。しかし、オーストラリアの学会で発表された研究は、その逆が起きることを示していました。正しいことを言った人ほど、職場で孤立し、いじめの対象になり、最後には辞めていく。
この現象を研究者は、「脆弱性のパラドックス(Vulnerability Paradox)」と呼んでいました。

正しさがリスクになる組織

 発表はカナダ・ケベック州の看護師を対象にした研究でした。看護師たちは患者の安全を守るため、インスリン投与の確認漏れや、不適切な身体拘束など、倫理的に問題がある行為を見つけると声を上げます。しかし、その結果どうなったか。改善されたのではありません。
「ここでは昔からこうやっている。」
「あなたが間違っている。」
「空気を乱さないで。」
そう言われ、次第に職場で孤立していきました。

 私はこの話を聞きながら、看護の話ではないと思いました。これは日本企業でも、まったく同じことが起きています。

日本企業でも見てきた光景

品質データの改ざんを止めようとした人。
不正会計に疑問を持った人。
下請法違反を指摘した人。
ハラスメントを相談した人。
「そのやり方はおかしい」と言った人。

本来なら組織は、その人を守らなければなりません。

しかし現実には、
「余計なことを言う人」
「組織を乱す人」
「空気を読めない人」
として扱われることがあります。
そして最後には、その人が会社を去る。
問題は残ったままです。

「正しいこと」が危険になる理由

 研究では、この現象が起きる背景として、心理的安全性の低い組織文化が挙げられていました。心理的安全性が低い組織では、倫理的に正しい行動をとること自体が、個人のリスクになります。
つまり、正しいことを言うほど危険になる。だから誰も言わなくなる。沈黙する。見て見ぬふりをする。これが「脆弱性のパラドックス」です。

個人を責めても何も変わらない

 私はこの研究を聞きながら、改めて思いました。多くの企業は、「勇気を持って声を上げよう」と言います。もちろん、それは大切です。しかし、声を上げた人を守れない組織が、勇気だけを求めるのは酷です。

問題は、個人の勇気ではありません。組織の仕組みです。報復を許さない制度があるか。相談した人が守られるか。倫理的な行動が評価されるか。そこが問われています。

本当に守るべき人は誰か

 今回の研究を通じて、私は一つの問いを強く持ちました。
組織は、成果を出す人を守っているでしょうか。
それとも、正しいことを言う人を守っているでしょうか。
私は後者だと思います。

品質を守ろうとする人。
患者を守ろうとする人。
顧客を守ろうとする人。
ルールを守ろうとする人。
そういう人が安心して働ける組織こそ、本当に健全な組織です。
逆に、そうした人が辞めていく組織では、残るのは沈黙だけです。
そして、その沈黙の先に、不正やハラスメントは育っていきます。

ハラスメント対策の本質

 私はこれまでの連載で、ハラスメントは個人の問題ではなく、組織の問題であると書いてきました。今回の研究は、その考えをさらに強くしてくれました。ハラスメント対策とは、加害者教育だけではありません。
相談窓口を設置することでもありません。本当に必要なのは、正しいことを言う人が、安心して働き続けられる組織をつくることです。
そのためには、倫理的な行動を守り、評価し、報いる文化が必要です。それがなければ、組織は誠実な人から順番に失っていきます。

おわりに

 私はこの発表を聞きながら、「組織は誰を守るのか」という問いを、何度も自分自身に投げかけていました。
不正を見逃す人でしょうか。
沈黙する人でしょうか。
それとも、「それは違う」と言える人でしょうか。
組織の未来は、その答えで決まるのだと思います。

 そしてこの問いは、脆弱性のパラドックス一つに留まりません。
今回、6回にわたって書いてきた各回のテーマ、社会的伝染、PSC、ボトムライン思考、いじめの生産性仮説、ダークリーダーシップ、逆機能の凝集性、そのすべてが、結局はこの一つの問いに集約されます。

組織は、誰を守るために存在しているのか。

最後に

 今回の学会を通じて、私がもっとも強く感じたのは、ハラスメントや職場いじめを「誰が悪いのか」という問題だけで捉えていると、本質を見誤るということです。もちろん、加害行為を放置してよいという意味ではありません。しかし、問題が繰り返される職場では、個人の言動の背後に、相談しにくさ、見て見ぬふり、リーダーの孤立、報告の遅れ、制度の形骸化といった、組織全体の兆候が積み重なっています。

 重要なのは、事件が起きてから対応することではなく、事件になる前のほんの些細なサインを読み解く力です。ハラスメントは、単なる人間関係の問題ではありません。組織の心理的安全、ガバナンス、リーダーシップ、そして人を大切にする価値観が、どれだけ機能しているかを映し出すサインでもあります。だからこそ、これからのハラスメント防止は、職場の空気を読み、声にならない違和感を拾い、組織がどこで人を追い詰めているのかを見抜く視点が必要です。
 今回の学びを通じて、私は改めて、ハラスメント防止を「組織の健康診断」として捉え直す必要があると感じました。

 キャンベラの広大な大地の一角にある国立大学の構内で、世界中の国と地域から集まった研究者や実務家が、職場のハラスメントやいじめの問題に真剣に向き合っている。その光景には、大きな心強さを感じました。

 そして最後に、6月のキャンベラは本当に寒かった。学会で得た学びも深く沁みましたが、寒さに震えながらホテルに戻り、日本から持ってきた味噌汁を飲んだ瞬間、その温かさもまた、しみじみと心に沁みました。

キャンベラで出会った多くの先生方、研究者の皆さまに、心から感謝します。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#PCS
#ハラスメント防止
#経営者のハラスメント責任

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第5回】 魚は頭から腐る-ハラスメントを生む組織は、どこから壊れ始めるのか

 前回は、ダーク・リーダーシップのもとで生まれる「逆境による連帯」について書きました。一見すると仲がよく、助け合っているように見えるチームでも、その結束が共通の目的ではなく、共通の恐怖や不満から生まれていることがある。つまり、「仲がいい職場」と「健全な職場」は同じではない、という話でした。

今回取り上げたいのは、そのさらに上流にある問題です。職場のいじめやハラスメントは、どこから生まれるのか。現場の上司なのか。加害者個人の性格なのか。部下との相性なのか。もちろん、そうした要素もあります。しかし、アデレード大学のMay Young Loh氏の発表を聞きながら、私は改めてこう感じました。職場の問題は、現場だけで起きているのではない。組織の価値観が、上から下へと流れているのだ、と。

発表の中で印象的だったのが、「魚は頭から腐る」という表現でした。組織の腐敗や不健全さは、現場の末端からではなく、トップの価値観や優先順位から始まるという意味です。

ハラスメントは個人の問題なのか

多くの企業では、ハラスメントが起きると、まず個人に目が向きます。あの上司の言い方が悪い。あの部下との相性が悪い。あの管理職のコミュニケーション能力に問題がある。もちろん、個人の行動を見直すことは必要です。しかし、それだけで終わってしまうと、本当の問題を見落とします。

なぜ、そのような行動が許されていたのか。
なぜ、周囲は止められなかったのか。
なぜ、相談しても変わらなかったのか。
なぜ、数字を出す人なら多少の問題行動が見逃されたのか。

そこを見なければ、同じ問題は繰り返されます。

Loh氏の発表は、職場でのいじめや不当な扱いを、個人の性格ではなく、マネジメントの価値観と組織システムの問題として捉えていました。私はここに、日本企業が学ぶべき大きな視点があると感じました。

PSCは「原因の原因」である

今回の発表で中心にあったのが、PSCです。PSCとは、Psychosocial Safety Climate、ここでは、会社は本気で自分たちの心の安全を守ってくれると、全社員が実感できている組織の文化、風土のことです。日本語に直訳すると、心理社会的安全風土。オブラートに包まずに言い換えれば、ハラスメントを撲滅するか否かを決める、経営陣の覚悟と制度です。もっと簡単に言えば、この組織は従業員の心理的健康を本気で守ろうとしているか、という組織全体の空気です。

ただし、これは単なる職場の雰囲気ではありません。仲がいい、話しやすい、相談しやすい。それだけではPSCとは言えません。PSCは、従業員の心理的健康を守るための方針、実践、手続きが、組織の中でどれだけ共有されているかを示すものです。つまり、仕組みの問題です。

Loh氏の発表では、PSCは「Cause of the Causes」、原因の原因と位置づけられていました。ハラスメントが起きる。メンタル不調が増える。離職が増える。現場が疲弊する。多くの企業は、そこで初めて対応します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見ます。なぜ、そのような職場になったのか。なぜ、過度なストレスが放置されたのか。なぜ、管理職が部下を守れなかったのか。なぜ、心理的健康よりも生産性が優先されたのか。ここに目を向けるのです。

生産性か、人間か

この研究が突きつけていたのは、非常に厳しい問いでした。あなたの組織は、生産性を優先しているのか。それとも、人間を優先しているのか。もちろん、企業にとって生産性は重要です。利益も必要です。成果も必要です。しかし問題は、生産性そのものではありません。問題は、生産性が人間より上に置かれることです。

過度な成果主義。過剰な内部競争。短期的な数字への圧力。結果を出せば多少のことは許される、という空気。こうしたものが積み重なると、いじめやハラスメントは単なる逸脱行動ではなくなります。成果を最大化するための手段として、事実上それが機能してしまうことがあります。発表では、これを「いじめ生産性仮説」として紹介していました。人間のニーズが軽視され、極端な生産性圧力がかかる環境では、いじめが労働を統制するための機能的なメカニズムになり得る。これは非常に重い指摘です。

会社が公式にハラスメントを認めることはありません。しかし実際には、強く詰める人が評価される、部下を追い込んでも数字を出せば許される、現場が疲弊していても結果が出ていれば問題視されない、そうした職場では、ハラスメントは禁止されているのではなく、黙認されているのかもしれません。

トップの価値観は現場に落ちてくる

組織の価値観は、言葉ではなくシグナルとして現場に伝わります。経営トップが何を評価するのか。どの行動を昇進させるのか。どの管理職を重用するのか。どの問題を見逃すのか。どこに予算をつけるのか。何を仕方ないとするのか。それらはすべて、現場へのメッセージになります。

経営層が「人を大切にする」と言っていても、実際には数字だけで評価していれば、現場はそれを学習します。経営層が「ハラスメントは許さない」と言っていても、数字を出す管理職の問題行動を見逃していれば、現場はそれを学習します。経営層が「心理的健康は大事だ」と言っていても、人員不足を放置し、過剰な目標を課し続ければ、現場はそれを学習します。つまり、現場の管理職は、トップの建前ではなく、実際に報われる行動を見ているのです。魚は頭から腐る。その言葉の意味は、まさにここにあります。

良い上司も、悪い空気には勝てない

多くの企業は、ハラスメント対策として管理職研修を行います。もちろん、管理職研修は必要です。しかし、Loh氏の発表で重要だったのは、管理職の有効性は組織全体のPSCに左右されるという点です。

PSCが高い組織では、管理職は部下を守ることに自信を持てます。部下の心理的健康を守る行動が、組織から評価されるからです。過度な生産性圧力から部下を守っても、それが管理職として正しい行動だと認められるからです。一方、PSCが低い組織では、良い上司であっても部下を守りにくくなります。部下を守れば、自分が甘いと見られる。目標達成を優先しなければ、評価されない。人を守る行動が、組織から報われない。そうなると、管理職は板挟みになります。本人に良心があっても、組織の空気がそれを無力化してしまうのです。

だから私は、管理職研修だけでハラスメント対策を終わらせることに違和感があります。管理職個人に「部下を大切にしなさい」と言いながら、組織全体では数字だけを徹底的に追わせる。これでは、現場の管理職を苦しめるだけです。

個人のレジリエンスに逃げてはいけない

最近は、従業員のレジリエンスを高める研修も増えています。ストレスに強くなる。折れない心をつくる。困難を乗り越える力を身につける。もちろん、個人の力を高めることは大切です。しかし、それを組織の責任回避に使ってはいけません。
燃え盛る火の中に人を置いて、熱さに耐える力を身につけましょうと言っているだけになっていないか。私はそこを問いたいのです。PSC研究が示しているのは、個人を鍛える前に、環境を変えなければならないということです。過度な仕事量。矛盾した評価制度。機能しない相談窓口。報復を恐れて声を上げられない空気。数字を出せば何をしても許される文化。これらを放置したまま、個人のレジリエンスだけを高めようとするのは、順番が違います。

ハラスメントは経営リスクでもある

今回の発表では、職場での不当な扱いがもたらす経済的損失にも触れられていました。世界全体で、多くの従業員が職場で不当な扱いを経験しており、それによる生産性低下は非常に大きな規模にのぼるとされています。従業員5,000人規模の組織でも、病欠、離職、生産性低下によって年間数百万ドル規模の損失が生じるという試算が、参考値として示されていました。

つまり、ハラスメントは倫理の問題であると同時に、経営の問題でもあります。人が壊れる。現場が疲弊する。優秀な人材が辞める。サービス品質が落ちる。事故やミスが増える。採用ブランドが傷つく。それらはすべて、組織のコストになります。にもかかわらず、多くの企業はハラスメントを人事の問題として小さく扱いがちです。私はここにも、日本企業の大きな課題があると感じます。ハラスメントは人事の問題ではありません。究極は、経営の問題です。

本当に見るべきもの

ハラスメントが起きた時、本当に見るべきものは何でしょうか。加害者の性格だけでしょうか。被害者の受け止め方でしょうか。管理職のスキル不足でしょうか。もちろん、それらも見る必要があります。しかし、それだけでは足りません。本当に見るべきなのは、組織の上流です。
トップは何を優先しているのか。どんな管理職が評価されているのか。部下を守る行動は報われているのか。相談制度は本当に労働者を守るために機能しているのか。生産性の圧力から人を守る仕組みはあるのか。PSCは、こうした問いを組織に突きつけます。だから私は、PSCを単なるメンタルヘルスの概念としてではなく、組織の健康診断、さらにはガバナンス指標として見ています

おわりに

職場のいじめやハラスメントは、突然生まれるわけではありません。それは、組織の価値観が積み重なった結果として現れます。人より数字を優先する。部下を守る管理職が評価されない。問題を指摘する人が煙たがられる。相談制度が組織防衛のために使われる。そうした小さなシグナルが積み重なることで、職場の空気はつくられていきます。

魚は頭から腐る。この言葉は厳しいですが、組織を見るうえで非常に重要な視点だと思います。そして同時に、希望もあります。頭から腐るのであれば、頭から変えることもできる。経営層が本気で価値観を変えれば、組織の空気は変わります。組織の空気が変われば、管理職の行動が変わります。管理職の行動が変われば、現場の経験が変わります。

ハラスメント対策は、加害者教育だけでは終わりません。相談窓口を置くだけでも終わりません。本当に必要なのは、組織が何を大切にするのかを問い直すことです。

あなたの会社は、従業員を「成果を出すための道具」として見ているでしょうか。それとも、「守るべき人間」として見ているでしょうか。その答えこそが、組織のPSCを決めているのだと思います。


この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
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ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
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オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第4回】 「仲がいい職場」が危ないこともある―「偽りの心理的安全性」、最悪の上司のもとで生まれる逆境による連帯

 前回は、数字や生産性を過度に優先する組織ほど、ハラスメントや不祥事を生み出しやすくなるのではないか、という話を書きました。今回取り上げたいのは、少し違う角度から見た職場の問題です。それは、チームの仲がいいことは、本当に良いことなのか、という問いです。

 一見すると、仲のよい職場は健全に見えます。部下同士が助け合っている。愚痴も言い合える。飲み会では盛り上がる。困った時には支え合う。しかし、オーストラリアの学会で聞いたある研究は、私に違う視点を与えてくれました。ダーク・リーダーシップのもとで生まれる、「逆境による連帯(Adverse Cohesion)」という考え方です。

ダーク・リーダーシップとは何か

 リーダーシップという言葉には、一般的に前向きな響きがあります。人を導く。チームを鼓舞する。未来を示す。組織を成長させる。しかし、リーダーシップには影の側面もあります。学会では、ダーク・リーダーシップという概念が紹介されていました。

有害で、非倫理的で、操作的なリーダー行動を指すものです。背景概念として、自己愛、マキャベリズム、サイコパシーといったダーク・トライアドにも触れられていました。

ただ、私が強く関心を持ったのは、リーダーの性格分類そのものではありません。むしろ、そのようなリーダーのもとで、部下やチームに何が起きるのか、という点でした。

最悪の上司のもとで、なぜ部下は団結するのか

 非常に興味深かったのは、有害なリーダーのもとで、部下同士が一時的に強く結束することがあるという指摘です。普通、チームの結束は共通の目標やビジョンから生まれます。しかしこの研究が示したのは別の結束でした。共通の目標ではなく、共通の敵によって生まれる結束です。

それが「逆境による連帯」です。

 上司が理不尽である。指示がころころ変わる。感情で判断する。部下を信頼しない。人によって態度を変える。そうしたリーダーのもとで、部下たちは次第に公式な場で本音を言わなくなり、代わりに裏でつながるようになります。

「あの人には気をつけた方がいい」
「また始まったね」
「みんなで何とか乗り切ろう」
こうして、リーダーを除いたメンバー同士の連帯が生まれます。

それは健全なチームワークではない

 ここで注意が必要です。この連帯は、一見すると良いチームワークに見えることがあります。部下同士が助け合い、情報を共有し、励まし合い、困難な状況でも踏ん張っている。経営者や人事から見れば、「あのチームは意外とまとまっている」「結束力がある」と映るかもしれません。

  しかし、それは健全な結束ではありません。組織を良くするための連帯ではなく、自分たちを守るための連帯だからです。前向きな目標に向かっているのではなく、有害なリーダーから身を守るために団結している。ここを見誤ると、組織は大きな判断ミスをします。

逆境による連帯は、短期的には強く見える

 この研究で特に重要なのは、逆境による連帯が短期的にはパフォーマンスを支えることがあるという点です。メンバー同士が支え合う。理不尽な上司に対抗するために情報共有する。互いに励まし合う。その結果、一時的には踏ん張る力が生まれます。
しかし、それはチームの生命力を前借りしているようなものです。本来なら顧客のため、組織の改善のため、未来のために使われるはずのエネルギーが、リーダーへの防衛に使われてしまう。これは非常に大きな損失です。

長期的には、創造性が止まる

 逆境による連帯が長引くと、チームは疲弊します。失敗を恐れるようになる。新しい提案をしなくなる。目立たないように働く。リーダーの機嫌を読むことが仕事になる。公式なコミュニケーションは死に、裏の会話だけが増えていく。これでは、イノベーションは起きません。表面上は仲がよくても、実際には組織の創造性が止まっているのです。

「仲がいい」と「健全である」は違う

 日本企業では、職場の仲の良さが重視されることがあります。和気あいあいとしている。チームワークがある。助け合いがある。もちろん、それ自体は悪いことではありません。
ただ、私はこの学会に出るまで、「仲がいい職場」を疑ったことがありませんでした。「上司は最悪だけど、メンバーはいい人たちなんです」「部長がいないところでは、みんな本音で話します」「現場は現場で何とか回しています」。こうした言葉を、私は今まで前向きな文脈で聞いていた気がします。踏ん張っている証拠だ、と。

しかし逆境による連帯という視点を知ってから、同じ言葉が違って聞こえるようになりました。それは組織が健全だという証拠ではなく、公式なマネジメントが機能していないサインかもしれない、と。

「心理的安全性」にも落とし穴がある

 最近、日本では「心理的安全性」という言葉を聞かない日はありません。安心して発言できる職場。何でも相談できるチーム。本音を言える雰囲気。もちろん、それ自体はとても大切なことです。

しかし今回の学会は、私にその言葉の落とし穴を教えてくれました。

一見すると仲がよく、何でも話せるチームでも、その結束が共通の目的ではなく共通の敵によって生まれていることがある。「上司が理不尽だから、私たちだけで支え合おう」という関係です。メンバー同士は本音を話し、助け合い、励まし合っています。しかし、その目的は組織を良くすることではない。自分たちが生き残ることです。

  上司から見れば「仲がいいチームだ」と映るかもしれません。しかし実際には、リーダーへの恐怖によって生まれた避難所になっている可能性がある。私はあえて、これを「偽りの心理的安全性(恐怖による結束)」と名付けました。

仲がいいことと、心理的に安全であることは、同じではありません。本音を話していることと、健全な組織であることも、同じではありません。

本当に見るべきもの

 チームがまとまっているか。成果が出ているか。離職者がまだ出ていないか。それだけでは足りません。
 
  見るべきは、その結束が向かっている先です。共通の目的に向かっているのか、それとも共通の恐怖に耐えているだけなのか。公式な場で本音が語られているのか、それとも裏でしか本音が語られていないのか。

 ダーク・リーダーシップの怖さは、単に部下を傷つけることだけではありません。チームのエネルギーの使い道を歪めてしまうことです。本来、未来をつくるために使うべき力が、リーダーに耐えるために消費されてしまう。これは、組織にとって大きな損失です。

おわりに

 今回の発表で印象に残ったのは、悪いリーダーのもとでも、チームは一時的に団結することがあるということでした。しかし、その団結は希望とは限りません。それは、組織が危険な状態にあることを知らせるサインかもしれません。

  あなたの職場の結束は、共通の目的に向かうためのものでしょうか。それとも、誰かに耐えるためのものでしょうか。この問いは、職場の健全性を見極めるうえで、とても重要だと思います。

次回も、さらにセッションで私が気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#PCS
#オーストラリア
#ハラスメント
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「心理的安全性」を口にする前に、管理職が忘れてしまったこと~AI時代に求められるのは、スマートな管理より 「弱さをさらけ出す」強さ~

「心理的安全性」。
この言葉、もう聞き飽きた管理職も多いのではないでしょうか。

一体、この言葉を聞いて「うちはもう実現した」と胸を張れる経営者が、どれだけいるでしょう。

もちろん、本当に体現できている組織もあると思います。
けれど多くは、あの「挨拶運動」と同じ道をたどりつつある気がしてなりません。朝礼で唱和され、ポスターに貼られ、いつしか誰も本気で信じていないスローガンと化していく道です。

誰もが安心して意見を言え、困ったことがあれば気軽に相談できる職場。そんな組織が実現すれば理想的です。

しかし、私たちは安心して本音を話せる職場をつくれているでしょうか。

 先日放映されていたNHK「クローズアップ現代」では、AIに孤独を打ち明ける高齢者を取り上げていました(2026年6月23日「病から老いの悩みまで”最期の相談”をAIに」)。

私には、それが職場で起きていることと重なって見えたのです。

家族や医師には話せない悩みをAIに話す高齢者と、

上司や同僚に本音を話せず、一人で抱え込んでしまう会社員。

「誰にも迷惑をかけたくない」

という気持ちから、孤独になってしまう構図は、とてもよく似ているように感じます。

完璧を求めるほど、人は孤独になる

番組の中で、4,000人以上の看取りに立ち会ってきた医師の小澤竹俊さんが、印象的な話をされていました。

現場で高齢者から最もよく聞く言葉は、

「迷惑をかけたくない」

だそうです。

相談することも、弱音を吐くことも、誰かに頼ると迷惑をかけてしまう。そう思ってしまうから、人ではなくAIに話しかける人が増えている。
それが現実なら、それは医療だけの問題ではなく、日本社会全体の課題だと話されていました。

私は、この話はそのまま職場にも当てはまると思っています。

「こんなことを相談したら迷惑だろう。」

「できないと思われたくない。」

「弱みを見せたら評価が下がる。」

このように考えて、本音を飲み込んでいる社員は少なくありません。

私たちが、AIより優れているのは「弱さ」にある

正しい答えを導きだすことについては、AIはますます優秀になっていくでしょう。

しかし、人の弱さに寄り添い、そばにいて共感する「たおやかさ」があるのは、人間だからこそできることです。

そして、この共感は、自分自身の弱さを自覚している人ほど深くなります。

私たちが、AIよりも優れているのは「弱さ」であり、

「人間は100点は取れない」

と小澤さんは言います。

この言葉に、効率化と最適化を求める現代のビジネスパーソンは、どれほど耳を傾けられるでしょうか。

これまで私たちは、100点満点のパフォーマンスを求め、弱さを「能力不足」と定義して排除してきました。

その結果、パワハラはなくならず、メンタルヘルスの問題も増え続けています。

部下が

「できました!」

と嬉しそうに報告しても、上司は

「じゃあ、次のタスクは?」

と冷徹に処理する。

そのとき、部下は悟ります。

上司は自分のことなど分かっていないし、分かろうともしていない、と。

心理的安全性は、理念ではなく関係性

番組の中で小澤さんは、

「医療の果たす役割は、幸せになること」だと言います。

そのためには、

「わかってくれる誰かがいること」が大切だと。

仕事も同じです。

「ウェルビーイング」

「心理的安全性」

どれだけ立派な言葉を掲げても、目の前の部下の感情の機微さえ汲み取れない管理職では、本当の意味での心理的安全性は生まれません。

「心理的安全性」という言葉を覚える前に、私たちがかつて飲み屋のカウンターで、グラスを傾けながら、

「先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど……」

と、泥臭く本音をぶつけ合えたあの夜を思い出してほしいのです。

あの湿っぽく、不器用で、しかし確かな人間味のあった関係性が、今のオフィスからは消え失せています。

「正の遺産」は、今日の対話から

SDGsやSWGs(持続可能なウェルビーイング目標)。壮大な国際アジェンダを語るのは、簡単です。
難しいのは、それを目の前の一人に落とし込むことです。

ゴールは、どこか遠くにあるのではありません。
今、あなたの目の前にいる部下との対話の中にしかないのです。

会社の理念やビジョンも必要です。

けれど、それ以上に大切なのは、今、目の前の部下にどう向き合うか。

その小さな「個別の対話」の積み重ねこそが、結局のところ、SWGsという壮大な目標を支える、いちばん足元の土台なのだと私は思います。

弱さをさらけ出せるリーダーになる

先に紹介した番組を見て、私は改めて確信しました。

これからの管理職に必要なのは、「完璧さ」ではありません。

部下に対して「弱さ」をさらけ出し、等身大の人間として感情を分かち合えること。

そして、部下の言葉にならない気持ちを汲み取る「共感の感度」を磨くことです。

この感度こそが、今ビジネスの現場で再注目されている「非認知能力」の真髄ではないでしょうか。

数値化できないし、一朝一夕では身につかないけれど、人と人とが関係を築く上で欠かせない力。

それを持つために、最も基本にして、最も重要なのが観察力としての
「挨拶」です。

もちろん、ただの「惰性」としての挨拶ではありません。

「今日も元気かな?」

「少し疲れているように見えるな」

と、相手の微細な変化を「よく見る」ための挨拶です。

弱さを認め合える関係は、日々の小さな関わりの積み重ねによって生まれます。完璧な成果を競う前に、目の前の相手の存在を認め、自分もまた一人の未熟な人間であることを差し出す。

そうして初めて、お互いの心が近づきます。

明日、部下の顔を見たとき、一瞬だけ立ち止まって、その表情の奥にある感情に目を向けてみませんか。

「なんだか少し嬉しそうだな」

と、相手の感情を想像しながら、挨拶をする。

そんな不器用で、けれど人間らしいやりとりこそが孤独を癒やし、ひいては次世代に「正の遺産」を残すための第一歩になると、私は信じています。



この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。

社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、 
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#心理的安全性
#孤独
#弱さ
#ハラスメント

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題 【第3回】 なぜ数字ばかり追う会社ほど、人が壊れていくのか

 前回は、アデレード大学のMay Young Loh博士の研究をもとに、「職場のいじめは社会的伝染病である」という考え方を紹介しました。職場いじめは個人の問題ではなく、組織全体に広がる現象であり、その背景には組織風土の課題があるという話でした。

  学会ではハラスメント研修の効果研究も発表されていました。しかし私自身が強く関心を持ったのは、研修手法よりも「なぜその職場でハラスメントが生まれるのか」という組織要因の研究でした。
 そんな中で特に印象に残ったのが、PSC研究の第一人者であるMaureen Dollard教授らの研究です。この研究は、ハラスメントそのものではなく、なぜ職場がハラスメントを生み出す環境になってしまうのかを問いかけていました。

生産性を追うことは悪ではない

  誤解してほしくないのですが、生産性を高めることを悪と決めつけるつもりはありません。企業にとって生産性は重要です。利益も必要です。効率化も必要です。問題は、生産性を重視することではありません。生産性しか見なくなることです。

  今回の研究で紹介されていたのが、「Bottom-Line Mentality(ボトムライン・メンタリティ)」という概念でした。利益、売上、KPI、業績などの数値目標だけを最優先し、それ以外の価値を軽視してしまう状態を指します。従業員の健康、働きがい、職場の人間関係、倫理観。そうしたものが後回しになり、気づけば「数字さえ達成できればいい」という空気が組織全体を支配するようになります。

人ではなく数字を見る組織

 私はハラスメント問題に関わってきました。そこで感じるのは、問題を起こした人だけを見ても、本質は見えないということです。私はむしろ、この組織は何を大切にしているのだろう、という視点で見ることがあります。売上を最優先しているのか。人を最優先しているのか。利益を追うこと自体は悪くありません。しかし、人より数字を優先する文化が定着すると、組織は少しずつ変質していきます。
 人はコストになる。会話は非効率になる。支援は甘えになる。やがて職場から余裕が消えていきます。

ハラスメントは管理ツールになる

 今回の研究で最も衝撃的だったのが、「Bullying Productivity Hypothesis(いじめ生産性仮説)」でした。非常に刺激的な名前ですが、内容はもっと刺激的です。研究では、過剰な生産性プレッシャーの下では、いじめが単なるトラブルではなく、労働管理の手段として事実上利用されることがあると指摘しています。

  もちろん、会社が公式に「いじめを推奨します」などと言うことはありません。しかし現実には、強く詰める人が評価される、厳しく追い込む人が成果を出す、部下を萎縮させても結果が出れば問題視されない、そんな環境が生まれることがあります。
すると、ハラスメントは黙認されます。そして組織の中で、「多少厳しくても結果が出ればいい」という空気が形成されていくのです。

管理会計の問題なのか、もっと上流の問題なのか

  先日、SNSで「管理会計がうまく機能しない会社ほどハラスメントが起きる」という趣旨の投稿を見かけました。非常に興味深い指摘だと思いました。確かに無理な目標設定や過度な成果主義は、現場に大きな負荷を与えます。しかし今回の研究を聞いて感じたのは、それはさらに上流の問題ではないかということです。

  問題は管理会計そのものではありません。問題は、利益や生産性を、人の健康や安全より優先する価値観です。管理会計が悪いのではない。KPIが悪いのでもない。数字しか見なくなる組織の価値観が問題なのです。

PSCという考え方

 ここでPSC(Psychosocial Safety Climate)が重要になります。
PSCとは、組織が従業員の心理的健康をどれだけ大切にしているかを示す組織風土です。経営陣のコミットメント、経営陣の優先順位、組織的コミュニケーション、組織的参加。この4つの柱で構成されます。

重要なのは、PSCは福利厚生の話ではないということです。メンタルヘルス施策の話でもありません。PSCとは、この会社は利益と人間のどちらを優先するのか、という経営の価値観そのものです。

ハラスメントだけを見ていても、本当の問題は見えない

 今回の発表を聞きながら、私は改めて感じました。ハラスメントは原因ではありません。症状です。ハラスメントが起きた。離職が増えた。メンタル不調者が増えた。不祥事が起きた。その時、多くの企業は個別の問題として対応します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見ています。
なぜそんな職場になったのか。なぜ誰も止めなかったのか。なぜ沈黙が続いたのか。なぜ人より数字が優先されたのか。

  私は以前から、「ハラスメントだけを見ていては、本当の問題は見えない」と伝えてきました。ハラスメントはそれ自体撲滅すべきことですが、他方でハラスメント自体が問題の本質とは言い切れない側面があります。

 組織の価値観や風土、マネジメントのあり方が表面化した一つのサインなのです。だから、これから本当に見るべきなのは、ハラスメントという現象ではなく、その現象を生み出した組織の価値観や風土ではないでしょうか。

 今回の研究は、その考え方を科学的に裏付けるものだと感じました。
私はこれまで、下請法違反が起きる会社ではハラスメントも起きやすく、ハラスメントが起きる会社では品質問題やコンプライアンス違反も起きやすいという現場を数多く見てきました。
 当時は、経験則でしか説明できませんでした。しかし今回オーストラリアでPSC研究を聞き、その背景には「人より数字を優先する組織風土」があるという説明を受け、長年感じてきた違和感が一本につながった気がしました。

おわりに 

 もしも今、「結果がすべてだ」「数字がすべてだ」「多少無理をしても仕方がない」という言葉が当たり前になっている職場があるとしたら、少し注意が必要かもしれません。
 ハラスメントは突然発生するわけではありません。組織が人より数字を優先し始めた時から、静かに始まっているのかもしれないのです。

オーストラリアの学会では、ハラスメントを個人の問題としてではなく、組織の価値観やガバナンスの問題として捉える研究が数多く発表されていました。

次回も、別のセッションで私が特に気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。


最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
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#PCS
#オーストラリア
#ハラスメント
#IAWBH

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第2回】 職場が「毒」に変わる瞬間―ハラスメントはなぜ伝染するのか

 前回は、オーストラリアの研究者Maureen Kyne氏による「上向きのいじめ(Upward Bullying)」を紹介しました。優秀なリーダーが、表面上は正当な苦情や手続きの陰で少しずつ権威を失い、やがて組織を去っていく。そんな現象が日本企業でも起きていることを書きました。
今回書くのは、その「なぜ」です。なぜ職場でハラスメントは起きるのか。なぜ問題のある職場では、同じ問題が繰り返されるのか。その答えを示してくれたのが、アデレード大学のMay Young Loh博士の研究でした。

ハラスメントは伝染する

  私たちはハラスメントを個人の問題として考えがちです。加害者がいて、被害者がいる。だから加害者を指導すれば解決する。しかしLoh博士の発表は、この前提そのものに疑問を投げかけます。彼女が示したのは、「職場のいじめは社会的伝染病である」という考え方でした。

いじめは加害者と被害者の間で完結しません。傍観者が同調し、管理職が黙認し、経営陣が見て見ぬふりをする。それぞれが影響し合いながら、組織全体へ広がっていく。まるで感染症のように。

職場が毒に変わる瞬間

 興味深かったのは、いじめが広がる職場に共通点があることです。それは、誰も止めないということです。
上司が見て見ぬふりをする。人事が動かない。周囲が沈黙する。すると何が起きるか。最初は異常だった行動が、やがて普通になります。陰口が当たり前になる。排除が当たり前になる。情報共有をしないことが当たり前になる。そして、「この会社ではそういうものだ」という空気が生まれる。
私はこれを、職場が毒に変わる瞬間だと思いました。

ストレスは下へ流れる

  発表の中で特に印象に残ったのが、「置き換えられた攻撃性(Displaced Aggression)」という考え方です。役員から厳しく責められた部長がいる。部長は役員には反撃できない。だから課長に当たる。課長はさらに担当者に当たる。担当者は新人に当たる。こうしてストレスが階層を下へ下へと流れていく。
日本企業でもよく見る話です。しかし本当に問題なのは、その連鎖を誰も止めないことです。

PSCという考え方

 ここで登場するのが、PSC(Psychosocial Safety Climate)、心理社会的安全気候です。簡単に言うと、この会社は利益よりも人を大切にしているか、 という組織の空気です。経営陣は本気で従業員の健康を守ろうとしているか。心理的健康は利益と同じくらい優先されているか。安心して声を上げられる仕組みがあるか。従業員が改善活動に参加できているか。この4つで構成されます。

重要なのは、PSCは心理的安全性とは違うということです。心理的安全性はチームの話です。PSCは経営の話です。現場がどれだけ頑張っても、経営がエンゲージメントの数字やハラスメントアンケートのパーセントしか見ていなければ、PSCは高くなりません。

私が最も共感したこと

  今回の発表で最も印象に残ったのは、PSCは「原因の原因(Cause of Causes)」であるという考え方です。ハラスメントが起きた。離職が増えた。メンタル不調が増えた。不祥事が起きた。普通はそこで原因を探します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見る。なぜそんな職場になったのか。なぜ誰も止めなかったのか。なぜ沈黙が続いたのか。そこに注目します。
私は以前から、ハラスメントは症状であって病気ではないと言ってきました。今回のPSC研究は、その考え方を科学的に裏付けるものだと感じました。

日本企業への問い

 私は今回の発表を聞きながら、日本企業のハラスメント対策の限界も感じました。多くの会社は、相談窓口を作る。規程を作る。研修を実施する。しかしそれだけで十分でしょうか。
もし経営が数字ばかり見ていたら。もし管理職が疲弊していたら。もし沈黙することが評価される文化だったら。その職場は、少しずつ毒に変わっていくかもしれません。

ハラスメントをなくしたいなら、加害者探しより先に、組織のPSCを見なければならない。私はそんなことを考えながら、このセッションを聞いていました。

  研究論文で読んでいたPSCの考え方を提唱した本人が、目の前で登壇している。それだけで十分に刺激的な経験でした。
日本の研究者とも共同研究を行い、日本の職場環境を深く理解している研究者が、こうして海外の学会で発表している。その事実に、身が引き締まる思いがしました。 オーストラリアの学会では、他にも興味深い発表が数多くありました。

次回は、別のセッションで私が特に気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#PSC
#IAWBH2026
#The University of Adelaide
#Australia

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第1回】なぜ優秀なリーダーは去るのか -組織を蝕む「上向きのいじめ」と権威失墜の正体

2026年6月2日から5日まで、オーストラリアのキャンベラで開催された国際職場いじめ・ハラスメント学会(IAWBH)の2026年大会に参加してきました。

 キャンベラは南半球の冬。体感としては日本の1月くらいの寒さです。紅葉も終わり、色づいた葉が道路に落ち、強い風が吹いていました。ユニクロで購入した温かい下着とダウンジャケットが手放せない4日間でした。
天気も晴れたり雨が降ったりと変わりやすく、会場となったオーストラリア国立大学では、多くの学生たちが静かに黙々と勉強していました。

今回の世界ハラスメント学会では数多くの研究発表を聞きましたが、その中でも特に印象に残ったのが、オーストラリア・ビクトリア州を拠点とする Maureen Kyne & Associates の代表、Maureen Kyne氏による「Upward Bullying(上向きのいじめ)」の発表です。

Kyne氏は、職場いじめやハラスメント、集団的排斥(Mobbing)、そして近年注目されている上向きのいじめの研究と実務支援で知られる専門家です。特徴的なのは、ハラスメントを個人の問題としてではなく、「なぜ組織はそれを見抜けないのか」「なぜ組織はそれを放置してしまうのか」という組織構造などの問題として捉えている点です。

私はこの発表を聞きながら、日本企業にも極めて共通する課題があると感じました。

日本でも起きている「上向きのいじめ」

ハラスメントというと、多くの人は上司から部下への行為をイメージします。
しかし現実には、その逆も存在します。
中途採用で入社した優秀な管理職。
改革を進めようとする新任部長。
説明責任を求め、古い慣習を変えようとするリーダー。

こうした人たちが、いつの間にか孤立し、疲弊し、そして会社を去っていく。
皆さんの会社でも思い当たる事例はないでしょうか。
その背景には、今回の研究で示された「権威の侵食(Authority Erosion)」が潜んでいる可能性があります。

権威は一瞬で壊れない

Kyne氏の研究で興味深かったのは、リーダーの権威は一気に破壊されるのではなく、少しずつ削り取られていくという点です。

例えば、
・決定事項に対して毎回細かな異議を唱える
・必要な情報を意図的に遅らせる
・第三者経由で不満を流す
・匿名や代理人を通じて苦情を申し立てる
・改革の取り組みを「強引」「現場を分かっていない」と解釈し直す

一つひとつを見ると、どれも正当な意見や慎重な確認に見えるかもしれません。
しかし、それが継続的に、組織的に、特定のリーダーだけに向けられた時、それは「千の小さな切り傷」となってリーダーを消耗させていきます。
そして本人も周囲も気づかないうちに、権威は失われていくのです。

私がこの研究から考えた、日本企業への3つの示唆

① 点で見れば苦情、線で見れば組織的ないじめ

企業では、
「現場から意見が出ています」
「複数の社員が不満を持っています」
「苦情が寄せられています」
という話をよく耳にします。

もちろん、本当に改善すべき問題もあります。
しかし重要なのは、その苦情を点で見るのか、線で見るのかです。
個別に見ると正当な意見に見える。
しかし時間軸で見ると、同じリーダーばかりが標的になっている。
別々の苦情に見えても、実は裏でつながっている。
複数部署からの声に見えても、発信源をたどると同じ派閥だった。
こうなると、それは単なる苦情ではありません。
組織的な排除行動です。

Kyne氏が強調していたのも、「個別事象ではなくパターンを見よ」という視点でした。
私は長年ハラスメント相談に関わってきましたが、本当に重要なのは「点」ではなく「線」です。
点だけを見ていると見誤ります。

② 日本企業特有の派閥と同調圧力

日本企業では特に、
「みんながそう言っている」
という空気が大きな力を持ちます。
最初は一人の不満だったものが、いつの間にか周囲が同調し、組織全体の空気になっている。
誰も主導者ではない。
しかし全員が加担している。
私はこうしたケースを何度も見てきました。
これは海外でいうMobbing(集団的排斥)に近い現象です。
日本では派閥や同調圧力という形で現れることが少なくありません。
だからこそ、「みんなが言っている」を鵜呑みにするのは危険だ。

本当に見るべきなのは、誰が言っているかではなく、なぜその空気が作られているのかです。

③ 縦割り組織ほど抵抗勢力は強くなる

もう一つ印象的だったのは、改革を進めるリーダーほど標的になりやすいという点です。
私はこれを聞きながら、日本企業の縦割り組織を思い浮かべました。
部門ごとの縄張り。
長年続いてきた慣習。
既得権。
暗黙のルール。
こうしたものを変えようとすると、必ず抵抗が起きます。
問題は抵抗そのものではありません。
抵抗がハラスメントや権威失墜という形で表れることです。
変革には摩擦が伴います。
正当な問題提起か、既得権を守りたいだけか。組織にはそれを見分ける目が要る。
そしてリーダーには、孤立を恐れず古い壁を壊す勇気が求められるのです。

本当の問題はハラスメントではない

私は今回の発表を聞きながら、改めて感じたことがあります。
それは、「ハラスメントは原因ではなく症状である」ということです。

上司から部下へのハラスメント。
部下から上司へのハラスメント。
どちらも現象に過ぎません。

本当に見るべきなのは、その現象を生み出している組織文化やガバナンスです。
変化を嫌う文化。
責任を曖昧にする風土。
部門ごとのサイロ。
声の大きい人が勝つ構造。
そして、「うちの会社は大丈夫」という思い込み。

こうしたものが積み重なった結果として、ハラスメントという現象が表面化しているのです。
今回の研究で示された「上向きのいじめ」は、単なる人間関係の問題ではありません。
組織の健康状態を映し出す鏡なのです。

おわりに

今回の発表を聞いて、私はハラスメントを個人の問題として捉える限り、本質的な解決は難しいと改めて感じました。
組織は単発の苦情を見ることはできます。
しかし、時間をかけて積み重なる行動パターンを見ることは得意ではありません。

だからこそ、点ではなく線で見る。
個人ではなく構造を見る。
ハラスメントではなく組織病理を見る。
そんな視点がこれからますます重要になるのではないでしょうか。

オーストラリアの世界ハラスメント学会では、このほかにも日本企業にとって示唆に富む発表が、まだまだあった。
次回は、別のセッションで私が特に気になった内容をご紹介したいと思います。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
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よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
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#IAWBH2026
#Maureen Kyne & Associates
#Upward Bullying
#Authority Erosion
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絵本で学ぶ職場のハラスメント ―寓話『ネズミと象』に学ぶ、上司の「常識」、部下の「不条理」―

悪気なく足元を踏み潰す「職場の老いた象」

『ネズミと象』という寓話がある。

巨大な象の群れが、森を移動していた。悪気はない。ただ、いつも通りに歩いていただけだ。
しかしその巨体ゆえ、足元の小さなネズミたちの住処を、何度も踏み潰してしまう。

困り果てたネズミの王様は、象の王様に頼み込んだ。
「歩くルートを、少しだけ変えてもらえないだろうか。そうしてくれたら、いつか私たちもあなた方を助けよう」

象たちは笑った。「こんな小さな生き物に何ができる」と。
それでも願いを聞き入れ、ルートを変えてやった。

その後、象の群れは猟師の罠にかかる。頑丈なロープに絡まり、身動きが取れない。絶体絶命の象たちの前に現れたのは、あのネズミたちだった。
総出で、鋭い歯でロープを一本ずつ噛みちぎり、象の群れを救い出した。

この話、職場の「世代間ギャップ」そのものだと思う。
長年実績を積み上げてきたベテラン社員は、組織を支える頼もしい「象」だ。しかし過去の成功体験という巨体のまま、無造作に歩き回ってはいないだろうか。「俺たちの若い頃はこれが当たり前だった」という足取りで、若手の足元を、何度も踏み潰してはいないだろうか。

「最近の若手は打たれ弱い」と嘆く前に、一度、自分の足元を見る。象としての自分の足元を。

「良かれと思って」が、一番厄介

この寓話で大事なのは、象はネズミを憎んで踏み潰していたわけではない、という点だ。
いじめる気はない。ただ、いつも通り歩いていただけ。

これが、ベテラン社員による自覚なき言動の、最も根深いところだと思う。

「俺の若い頃は、徹夜してでも這い上がったものだ」

「これくらいの理不尽を乗り越えないと、一人前になれない」

「言われたこと以上に、なぜプラスアルファをやらないのか」

こう言うベテランに、悪意はない。むしろ「良かれと思って」「自分の成功ルートを教えてやろう」という親切心の方が大きいケースがほとんどだ。

筆者も正直、似たようなセリフが喉まで出かかったことが、一度や二度ではない。出かかった、というのが大事なところで、出していたら今この原稿は書けていない。

だが、ここに致命的な認知のギャップがある。
時代も、労働環境も、ハラスメントへの意識も、激変した。その中で過去の重たい価値観をそのままぶつけるのは、象が、ネズミの頭上から巨体を落とすのと同じことだ。
ベテランにとっては「常識」という軽い一歩。
若手にとっては、尊厳もキャリアも踏みつぶされる「不条理」。
ハラスメントは、悪意から生まれるんじゃない。自分の持つパワー 
-その重さへの無自覚から、生まれる。

若手の「沈黙」と「静かな脱出」が、ベテランを破滅させる

象が「自分の常識」という足踏みを繰り返していると、組織には静かに、しかし確実に、リスクが積もっていく。
それが、若手たちの「心のシャッター」が下りる瞬間だ。
今の若手は、理不尽に大声で反論したりしない。生き残るために、自分を守るために、選ぶのは「徹底的な沈黙」か「早期離職という、静かな脱出」だ。
「この人に何を言っても、昔の常識を押し付けられて終わる」

「この理不尽に付き合っていたら、自分の市場価値が下がる」
そう判断したネズミたちは、象の周りから、静かに姿を消していく。
足元から若手が消え、残るのは自分と同じ価値観を持つ古い象だけ。象同士、昔話で盛り上がって、それなりに楽しそうにも見える。
だが実際は、時代の変化という「罠」に対応できない、極めて脆い組織の始まりだ。
若手が沈黙した職場には、新しいアイデアも、現場のリアルな課題も、もう象の耳には届かない。
そしてある日、組織が大きなトラブルや環境変化という「罠」にかかったとき――ベテランの怪力(過去の経験)だけでは、もう抜け出せない。誰も助けに来ない。
強者が弱者を軽視したツケは、最後に「強者自身の孤立」という形で返ってくる。

老いた象が「若手」と共存するための3つの視点

長年の経験を「若手を潰す凶器」にしないために。
ベテランが持つべき視点は、3つ。

① 自分の体重を、自覚する
社歴が長くなるほど、何気ない一言、不機嫌なため息ひとつの「質量」は、自分が思っているより数倍重い。
「今の自分は、ただ歩くだけで周囲を緊張させる象だ」――その自覚が、無自覚なパワハラを防ぐ第一歩になる。

②昔のルートは、もう地雷原かもしれない
何度も通ってきた「常識という名のルート」。それは、コンプライアンスも労働法も変わった今、一発アウトの地雷原かもしれない。
「俺の時代はこうだった」――その言葉が出そうになったら、一度止まる。「今の時代でも、これは通るか?」と、頭の中で検閲する。その癖をつける。

③ネズミの「新しい知恵」に、敬意を払う
寓話の結末で象を救ったのは、ネズミの「小さな鋭い歯」だった。
今の職場で言えば、若手のデジタルスキルや、タイパを重視する合理的な視点。そういうものだ。
「最近の若者は」と切り捨てるのではなく、自分にはない強みを持つ存在として、敬意を払う。それが、本当の信頼関係をつくる。

足元の声を聴くリーダーだけが、変化の森を生き抜ける

過去の実績や経験は、誇るべき財産だ。
でも、それに固執して足元を見ない象は、いつか時代の罠にかかったとき、孤独に倒れる。
これまで培ってきた大きな力は、若手を押しつぶすためじゃない。彼らが安心して動けるよう、背後のプレッシャーから守る「盾」として使うものだ。
上司の「常識」を、一方的に押し付けるのをやめる。
小さなネズミの声を聴き、その存在に敬意を払う。

それが、ベテラン社員が「老害」と呼ばれるリスクを避け、
変化の激しい新時代をチームで生き抜くための、一番賢いサバイバル戦略
なのかもしれない。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#絵本で学ぶ職場のハラスメント
#ネズミと象
#世代間ギャップ
#ハラスメント


「見て見ぬふりという名のもう一つのハラスメント ― 正しいと思いながら、黙り続けた人たち ―

先日、ある企業様とハラスメント研修の企画を進めていたときのことです。

担当者の方とは何度も打ち合わせを重ねました。
表面的な法令知識ではなく、

なぜハラスメントが起きるのか。
なぜ職場で誰も声を上げなくなるのか。
なぜ優秀な人ほど沈黙してしまうのか。

そんな組織の本質に踏み込んだ内容でした。

打ち合わせのたびに担当者は熱心に耳を傾け、

「これは必要ですね」
「今の組織に足りない視点だと思います」
と何度も話していました。

私も手応えを感じていました。

ところが実施直前になって突然連絡が入ります。

「申し訳ありません。内容を大きく変更していただけないでしょうか」

詳しい理由は聞きませんでした。
聞かなくても、おおよその見当はついたからです。
おそらく上層部から何らかの指摘が入ったのでしょう。

私は早速、依頼には応えます。

本質をえぐる内容を削り、
誰も不快にならず、
誰も反発せず、
誰も責任を感じなくて済む、
そんな無難な内容へと作り替えました。

研修そのものは無事に終わりました。

しかし、本当に印象に残ったのはその後です。

昼食の席で担当者がポツリとこう言いました。

「実は僕も、最初の案の方が良かったと思っているんですよ」

私はため息が出ました。
ああ、またこの光景か。
という感情です。

なぜなら、こういう場面を私は何度も見てきたからです。

「本当は分かっている」

 彼は何が問題なのか分かっていました。
何が組織のためになるのかも分かっていました。
何が本質的な課題なのかも理解していました。

だからこそ最初の企画に共感していたのです。

それなのに最後は変わった。

なぜでしょうか。

答えはそれほど難しくありません。
正しいことを通しても、自分の評価には直結しないからです。

しかし上司に逆らえば評価が下がるかもしれない。
面倒な人間だと思われるかもしれない。
出世コースから外れるかもしれない。

だったら黙って従った方が安全です。
だったら波風を立てない方が楽です。

だから従う。
だから飲み込む。
だから見送る。

そして終わった後になって、
「本当は私もそう思っていたんです」
と言う。

私はこの言葉を聞くたびに複雑な気持ちになります。

だったら、なぜその時に言わなかったのか。
だったら、なぜ現場のために声を上げなかったのか。
もちろん私も分かっています。

生活があるからです。
家族がいるからです。
住宅ローンがあるからです。
評価があるからです。

だから責める気にはなれません。
しかし同時に思うのです。
それは本当に仕方のないことなのでしょうか。

「保身は、やがて傍観になる」

 多くの人は勘違いしています。
ハラスメントの問題は加害者だけの問題だと思っています。

怒鳴る上司。
威圧的な管理職。
人格に問題のある人。

確かにそういう人がいます。

しかし現場で本当に多いのは別の人たちです。

見ている人です。
気づいている人です。
おかしいと思っている人です。
でも何もしない人です。

つまり傍観者です。

そして傍観者の多くは悪人ではありません。
むしろ真面目で責任感のある人たちです。
だから厄介なのです。

悪意があるわけではない。
傷つけたいわけでもない。

ただ、自分を守りたいだけなのです。しかしその沈黙が、誰かを追い詰める。

『本当は反対だったんです』という便利な言葉

 私が一番怖いと思うのはここです。
何もしなかった人ほど、後になってこう言います。

「本当は私も反対だったんです」
「私も被害者のようなものなんです」
「上が決めたことなので」

確かにそうでしょう。
被害者の側面もあると思います。

しかし、その言葉は同時に責任から距離を取るための便利な言葉でもあります。
組織の決定には従う。

でも責任は負いたくない。
上司には逆らわない。
でも自分が賛成したと思われるのも嫌だ。

だから、
「本当は違ったんです」
と言う。

そうやって自分の良心だけは守ろうとする。

私はあの担当者の言葉を聞いたとき、そこに人間の弱さを感じました。
彼は被害者だったのかもしれません。

しかし同時に傍観者でもあった。
そして、おそらく私たちの多くもそうです。

「本当に恐ろしいのは組織の空気」

 こういう人が一人なら問題ありません。

しかし会社の中に十人、二十人、百人と増えていくと何が起きるでしょうか。

誰も本音を言わなくなります。
誰も異論を唱えなくなります。
誰も責任を負わなくなります。

その代わりに増えるのは言い訳です。

「仕方がない」
「上が決めたことだから」
「会社だから」
「現実はそんなものだから」

こうして組織は少しずつ思考停止していきます。

そして不祥事が起きる。
ハラスメントが起きる。
誰かが壊れる。

そのとき初めて全員が言うのです。

「まさか、こんなことになるとは思わなかった」

本当にそうでしょうか。

気づいていた人はいたはずです。
違和感を持っていた人もいたはずです。

ただ、誰も動かなかっただけです。

「あなたはどうですか」

 この話を読んで、
「ひどい担当者だな」
と思った方もいるでしょう。

しかし私はそうは思いません。
なぜなら、あの担当者は特別な人ではないからです。

どこの会社にもいるのかもしれません。
そして、もしかすると私たち自身もそうかもしれません。

本当は違うと思っている。
本当はおかしいと思っている。
本当は声を上げるべきだと思っている。

それでも黙る。

波風を立てたくないから。
嫌われたくないから。
損をしたくないから。
評価を下げたくないから。

それが人間です。

だからこそ問われるのです。

組織の空気に流される傍観者であり続けるのか。

それとも

違和感に向き合うのか。

その選択です。

ハラスメントは突然発生するものではありません。
誰かの暴言から始まるものでもありません。

もっと前から始まっています。

違和感を覚えながら口を閉ざした瞬間。
見て見ぬふりを選んだ瞬間。
「仕方がない」で済ませた瞬間。

その小さな沈黙の積み重ねが、やがて組織を蝕んでいくのです。

知識を学んだ後、あなたは何をするのか。

問われているのは、
「ハラスメントの知識」ではなく、明日からのあなたの「生き方」です。

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この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
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ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#管理職
#傍観者
#見て見ぬふり
#ハラスメント

パワハラじゃない。     でも確実に人を潰している“無礼”の正体 ― パワハラ以前の問題が職場を静かに壊す。

「パワハラは許されない」

日本でもかなり広がりました。法制度も整い、研修も実施され、企業は対策を進めています。

でも現場はどうでしょう。

怒鳴る、脅す、人格を否定する -そういった“わかりやすいハラスメント”は確かに減ってきた。なのに、組織の疲弊感がなくならない。そんな会社が、まだたくさんあります。パワハラの報道も止まりません。

研修の現場でも感じます。
「制度を整えたのに、なんとなく職場の空気が重い」
「ハラスメント研修をしたのに、また相談が来た」

という声を、人事担当者から聞くたびに、私はこう思うのです。

問題は、パワハラの始まりはもっと「手前」にあるんじゃないか、と。

「礼節を欠く態度」が、じわじわと職場を壊す

  今回紹介したいのは、Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior(2026年)に掲載されたレビュー論文「Workplace Incivility(職場無礼行為)」(Magley, Kabat-Farr, Malcore, Walsh)です。

25年分の研究を丁寧に整理した論文ですが、その問題提起は非常にシンプルです。
「職場に蔓延する“礼節を欠く態度”が、個人の心身だけでなく、組織の生産性までむしばんでいる」論文ではこれを incivility(インシビリティ) と呼んでいます。

特徴は三つです。

• 強度が低いこと
• 相手を傷つける意図が曖昧であること
• 相互尊重という職場規範に反すること

つまり、怒鳴るわけでも、脅すわけでもない。
でも「なんか感じが悪い」「軽く扱われた気がする」と感じる行動です。
日本の職場で思い当たる場面を挙げるとすれば、こういうことです。

会議で話を途中で遮る。
「は?」「で?」という返しで相手を萎縮させる。
ため息をつく。
目を合わせない。
感謝やねぎらいの言葉を省く。

雑な指示や投げるような依頼が当たり前になっている。

どれも単体では「ちょっと嫌だな」で終わりがちです。
ところが、この“ちょっと”の積み重ねが、じわじわと組織を蝕んでいく。
それが論文の主張です。

75% -「例外」ではなく、「普通に起きている」

  論文が示す職場の無礼行為の経験率は、推定75%です。
4人いれば3人が経験しているレベルです。

いじめやハラスメントより発生頻度が高く、世界規模で見れば生産性損失は巨額だとされています。
ここで重要なのは、無礼が「悪い人がやる特殊な問題」ではないという点です。

忙しい。
余裕がない。
成果プレッシャーが強い。
役割が曖昧。
上司が不公正。

こうした条件が重なると、無礼は日常化します。
組織の「当たり前」として起きるのです。

そして日本の職場は、この条件をいくつも抱えています。

長時間労働。
曖昧な職務定義。
感情労働。
年功序列の名残。
同調圧力。

無礼が起きても、
「まあそんなもんだ」
「あの人はそういう人だから」
と片付けられてしまう。


なぜ見落とされるのか-「意図が曖昧」
という厄介さ


 パワハラは、優越的な関係を背景に、業務上必要な範囲を超えて、
就業環境を害する言動として定義されています。
ところが無礼は、「傷つける意図が曖昧」であることです。

だから現場では、こういうことが起きます。

やった側は、
「そんなつもりはなかった」
と言う。

見ている側は、
「大げさに騒ぐほどではない」
と感じる。

受けた側は、
「自分が敏感なだけかもしれない」
と思ってしまう。

組織は、
「ハラスメント案件としては弱い」
と判断する。

この構造そのものが、無礼を温存します。
白か黒かではなく、グレーの量で組織を壊していく。
ここがパワハラとの決定的な違いであり、日本で最も見落とされやすい
ポイントだと私は感じています。

無礼は「感染」する

  論文で興味深いのが、無礼が拡散するメカニズムの説明です。
一つはスパイラルです。
無礼を受けた人が別の誰かに八つ当たりする。
目撃した人が同じ態度を学習する。
やがて低強度の無礼が、より強い敵対行動へと変わっていく。

もう一つは「認知の感染」です。

無礼を経験すると、人は他人の言動を悪い方向に受け取りやすくなります。
これまでなら気にならなかった一言や態度まで、「自分を軽く扱っているのではないか」と感じやすくなるのです。

つまり、無礼は「見え方」まで変えてしまう。
職場の会話が刺々しく感じられ、疑心暗鬼が広がる。
これは、現場感覚とぴったり一致します。
一人の態度が悪いと、なぜか全体の会話が荒れていく。
誰かが雑に扱われているのを見ると、
「丁寧にするのが馬鹿らしい」
という気分になる。

あの“職場の雰囲気の悪化”は、まさにこの拡散メカニズムで説明できます。

パワハラ対策をしても、なぜ組織が回復しないのか

 論文が示す影響は広範です。
無礼を受けた人は、仕事満足が下がり、組織へのコミットメントが下がり、
離職意図が上がる。
パフォーマンスや市民行動が下がり、反生産的行動が増える。
睡眠悪化、ストレス、情緒的消耗など、健康面にも影響が出る。
事件化しなくても、組織の土台が静かに削られていくのです。
私がここを一番怖いと思っています。

 日本企業は「明確なNG」は止められても、相手への配慮や敬意を欠くコミュニケーションは残りやすい。
するとハラスメント対策をしても、組織が回復しない。
さらに論文は、無礼の発生が個人の資質よりも、職場の気候や規範といった「文脈」によって強く左右されることを示唆しています。

対策は「個人にマナーを教える」だけでは足りません。

本気で本気で取り組むなら、「何をしてはいけないか」だけではなく、「どのような態度を大切にする職場なのか」を明確にする必要があります。
その意味で、インシビリティ(無礼)の問題は、今後の組織づくりに不可欠なテーマになります。

「昭和的な当たり前」に刺さる論文

  日本のパワハラ議論は、どうしても「強い言動」「優越関係」「適法・違法」に寄りがちです。
もちろんそれは重要です。

でも現場では、もっと手前の段階で問題は起きています。

乱暴な口調。
目を合わせない。
雑な依頼。
話を遮る。
無視する。
感謝を伝えない。
説明を省略する。

こういった“日常の無礼”が、職場を荒らし、人を辞めさせ、成果を落とす。

そして日本では、これが
「仕事なんだから我慢しろ」
「昔からこうだった」
「空気を読め」
で正当化されやすい。

論文は、無礼が低強度で曖昧だからこそ、ラベルも貼られず、改善もされず、拡散し続けることを丁寧に論じています。

日本の職場文化の盲点に、まっすぐ刺さる内容です。

パワハラ対策の次の一手として
パワハラ対策を考えるとき、私たちは「強い加害」だけを見てしまいがちです。
でも本当に組織を壊しているのは、「雑さ」「冷たさ」「軽視」の積み重ねかも
しれない。

この論文は、その“パワハラ以前”の問題を照らしてくれます。
ハラスメント対策を再発防止まで持っていきたいと考えている人事担当者や
管理職のみなさんに、ぜひ一度手に取ってほしい論文です。

そして最後に、こんな問いを投げかけたいと思います。

パワハラをなくそう。
もちろん、それは大切です。

でも組織を壊しているのは、必ずしも怒鳴り声ではありません。

話を遮ること。
感謝を言わないこと。
雑に頼むこと。
相手を軽く扱うこと。

そんな小さな無礼の積み重ねが、職場の空気をつくります。

あなたの職場では、どんな態度が「当たり前」になっているでしょうか。

パワハラ対策の次の一手は、その問いから始まるのかもしれません。


参考文献
Magley, V. J., Kabat-Farr, D., Malcore, S. A., & Walsh, B. M. (2026). Workplace Incivility. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 13, 325–352.
※本記事は上記論文の内容をもとに執筆しています。職場の「無礼」が個人だけでなく組織全体に与える影響について、さらに詳しく知りたい方は原典をご覧ください。

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この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
ハラスメント研修プランナー/講師/産業カウンセラー
企業の管理職が「ハラスメントを恐れて部下指導ができない」という悩みを解決する研修を専門とする。
アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。
2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。
企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。
年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
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