月別アーカイブ: 2025年10月

自分で自分にパワハラする人たち

あなたの中に「ブラック上司」はいませんか?

「なんでこんなこともできないんだ?」
「またミスした…本当に使えないな」
「もっと頑張らないと。こんなんじゃ甘えてる」

誰かに責められているわけではない。なのに、脳内で繰り返されるこの暴言。
まるでブラック上司のように、自分自身を追い詰めてしまう。

そんな「自分責めの習慣」に、心当たりはないでしょうか。
私はこれを、「自己パワハラ」と呼んでいます。

自己パワハラが生み出す「負のスパイラル」

自分を責め続けると、やがてこう思い始めます。

「自分は嫌われる存在だ」
「好きになってもらえるはずがない」
「自分には価値がない」

この思考パターンは、職場での振る舞いにも影響します。過度に遠慮する、意見を言えない、評価を素直に受け取れない。結果として、本来のパフォーマンスが発揮できなくなるのです。

冷静に考えてほしい、この事実

少し過激な言い方をします。

あなたが亡くなって一年も経てば、ほとんどの人間関係は忘れ去られるでしょう。職場での評価も、あの日のミスも、すべて記憶から消えていきます。
そして、あなたの頭の中で繰り返されている自己批判の声も、あなたが死を迎えた瞬間、削除されたデータのように完全に消去されます。

だからこそ、今考えるべきは「自分にパワハラする思考を、どう手放すか」ではないでしょうか。限られた人生を、自分を責めることに使うわけにはいきません。

自己パワハラの「損益計算書」


冷静に分析してみましょう。
自分にパワハラしても

• 給料は上がらない
• 評価が良くなるわけでもない
• スキルが向上するわけでもない
• むしろ、メンタルが削られパフォーマンスは下がる

さらに言えば、自分を責めている人は、他人からも避けられやすくなります。

なぜなら、自己否定の強い人は、無意識に周囲にもネガティブな空気を広げてしまうからです。「この人といると疲れる」と思われてしまうのです。

結論はシンプルです。自己パワハラは、百害あって一利なし。

Well-beingを削る「内なる攻撃」

「Well-being(ウェルビーイング)」という言葉をご存知でしょうか。

これは単なる健康ではなく、身体的・精神的・社会的に満たされている状態を指します。今、多くの企業や経営者が注目している概念です。

しかし、いくら会社が働き方改革を進めても、あなた自身が「責めグセ」から抜け出せなければ、真のWell-beingは手に入りません。

自己パワハラの強い人には、こんな特徴が見られます:

• 成果を出しても、満足できない
• 人の目や評価に敏感すぎて疲弊する
• 小さな失敗に過剰に落ち込む
• 褒められても、素直に受け取れない

これらはすべて、内側からWell-beingを削る「見えない攻撃」の影響です。

では、どうすれば自己パワハラをやめられるのか?
答えはシンプルです。「自分に優しくする」「自分を責めない」こと。

しかし、ここで多くの人が直面する壁があります。

自分を変えようとすると、周囲が邪魔をしてくるのです。

「そんな甘いこと言ってるから成長しないんだ」
「自分に優しくする?それって逃げじゃないのか」
特に日本の職場では、まだまだ「厳しさこそ美徳」という価値観が根強く残っています。

だからこそ、自分を変える前に、周囲からの「反論」をかわす技術を身につける必要があるのです。

反論に巻き込まれないための「3つの視点」

視点1:「正しさ」で戦わない

よくある反応:
「それは時代遅れですよ」
「今は自己肯定が当たり前の時代です」


推奨する返し方:
「そういう考え方もありますよね」
「最近は違うアプローチで成果を出す人も増えてきていますね」

“自分が正しい”を主張するのではなく、”多様な価値観がある”と示す。これが対話を続けるコツです。

視点2:相手の不安を理解する

「厳しく育てられてきた」「苦労して乗り越えてきた」
そんな背景を持つ相手にとって、「優しくする・甘やかす」という考えは、自分の努力を否定されているように感じられるのです。

推奨する返し方:
「○○さんのように、厳しい環境を乗り越えてこられた経験には説得力があります」
「だからこそ、私は今、自分なりのやり方を試してみたいと思っています」
一度、相手の過去を認める。すると、こちらの意見も通りやすくなります。

視点3:距離を保つことも「戦略」

すべての人と分かり合う必要はありません。
価値観がどうしても合わない相手には、戦わず・屈せず・巻き込まれずのスタンスで、心理的距離を保つことが重要です。

推奨する返し方:
「ありがとうございます、参考にします」
「私は少し違うやり方を試してみたいと思っています」
これは「受け入れるふり」ではなく、自分のWell-beingを守る知恵です。

ケース別・実践的な対話例

ケース1:「そんな甘い考えじゃ通用しない」と言われたら

「たしかに、甘えと紙一重になることもあるかもしれません。ただ、感情を整えることで集中力や成果が上がった実感があるんです」

ケース2:「俺の若い頃はもっと厳しかった」と言われたら
「そういう環境で成果を出してこられたんですね。今はまた違うやり方で力を引き出す方法もあって、私も模索しているところです」

ケース3:否定ばかりしてくる先輩に巻き込まれたくないとき
「ありがとうございます。少し整理して考えてみたいので、また改めてご相談させてください」

言い返さずに使える「かわし言葉」集

【否定されたとき】
→「そういう考えもありますよね」

【強く指摘されたとき】
→「なるほど、少し違う視点かもしれません」

【自分の立場を守りたいとき】
→「私も今、自分なりのやり方を試しています」

【会話を終わらせたいとき】
→「ありがとうございます、考えてみますね」

ぶつからなくていい、ずらせばいい

「自分を責めないで生きるなんて、甘えじゃないか」
「周囲が厳しいのに、自分だけ楽になっていいのか」

そんなふうに感じることもあるかもしれません。

でも、今はこう考えています。

ぶつからずに”ずらす”という選択こそ、自分を守る知性。

自分のWell-beingを整えることは、結果的に他人へのやさしさにもつながります。メンタルが安定している人の方が、良いパフォーマンスを発揮でき、チームにも貢献できるのですから。

「甘やかし」ではなく「回復力」

「自分を甘やかしていいのか」
「こんな自分を肯定してもいいのか」
そう迷う気持ちもあるでしょう。

しかし、自分に優しくするということは、「回復力(レジリエンス)」を育てることに他なりません。

厳しさ一辺倒で乗り越える時代は、終わりを迎えています。

どうか今日、自分にこう声をかけてみてください。
「よくやってる」
「今の自分も、悪くない」
「今日は、もう十分」

あなたへの問いかけ

今日一日を振り返って、自分にかけた言葉を思い出してみてください。
それは、信頼する部下や同僚にもかけるような言葉でしたか?
もしそれが厳しすぎるものだったなら、明日は少しだけ優しい言葉に変えてみませんか。

「頑張ってるよ」でも、「お疲れさま」でも、「今日もよくやった」でも構いません。
どうか、あなた自身があなたのいちばんの味方でありますように。

#自分で自分にパワハラする人たち

「カンニングを叱られた高校生に何が起きたのか?  職場にも通じる『指導の落とし穴』」

「指導死」という言葉を知っていますか?

学校などで教員による不適切な指導をきっかけに、子どもが命を絶つこと——それを「指導死」と呼びそうです。重いテーマですが、この問題は企業におけるハラスメント対策と同じ構造を持っています。だからこそ、取り上げたいと思います。

1年前、大阪の有名進学校で起きたこと

2025年5月、読売テレビが衝撃的な特集を放送しました。
「繰り返される〝指導死〟『卑怯者です』カンニングの指導後に息子は命を絶った…両親の叫びと現役教員の本音 生徒指導はどうあるべきか?」
取り上げられたのは、1年前に大阪の有名進学校で起きた事例です。定期テストでカンニングが発覚した男子高校生が、学校での指導直後に自ら命を絶ったのです。
両親によると、教員に促されて彼は「卑怯者です」と言わされたそうです。さらに、全科目0点、8日間の自宅謹慎、写経80巻などの処分が言い渡されました。
遺書にはこう綴られていました。
「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから学校内から『卑怯者』と思われながら生きていく方が怖くなってきました」

「予測は困難だった」で済まされるのか

学校側が設置した第三者委員会は、「『卑怯者』という表現など、指導には問題がある」と指摘しました。しかし「自殺の原因とは認定できない」と結論付けています。
両親は「不適切な指導が原因で息子は自死した」として学校側を提訴。裁判は双方の主張が対立したまま、1年が過ぎています。
学校側の主張は、「同様の指導を受けた生徒が自死したことはなく、予測は困難だった」というものです。
わが子を亡くした両親が、それでも「指導は必要」だと声を振り絞る姿に胸が痛みます。両親が問いかけているのは、「指導のあり方」なのです。

「指導死」の疑い、過去33年間で97件

専門家らによる調査によると、「指導死」の疑いがある事例は1989年〜2022年で97件に上ります。
この事態を受け、文部科学省は2022年に生徒指導の手引き「生徒指導提要」を12年ぶりに改訂。「教職員による不適切な指導が、不登校や自殺のきっかけになる場合もある」ことが初めて明記されました。

教員たちの本音——アンケートから見えた「指導への不安」

教育現場では「適切な指導」のあり方をどう捉えているのか。番組取材班は関西の公立・私立高校5校の教員にアンケート調査を実施しました。一部をご紹介します。

回答者:27人(20代〜50代、教職員歴4年〜37年、男性24人・女性3人)

まず、「生徒指導で大切にしていること」「難しいと思うこと」について聞きました。


「起きた事案だけで判断せず、その行為に至った経緯や生育環境、最近の様子など、背景を把握したうえで必要な指導を行うよう心がけている」(50代男性)
「ルールとマナーを守ること。まじめに頑張っている生徒がおろそかにならないこと。世の中や学校のルールよりも、個性というわがままを押し通す大人が増えたこと」(50代男性)
「生徒が将来、社会で生きていくことができる力を身につけさせることを大切にしている。時代の変化もあり、社会や学校、生徒、保護者との関係をうまくつないでいくことに難しさを感じる」(30代男性)
「生徒、教師、保護者など関係するすべての人間が納得できる指導を心がけています。それぞれの立場や思いがあり、思うようにはならないこともある点が難しいです」(50代女性)


これらの回答からわかるのは、教員たちが生徒指導に大きな難しさを感じているということです。
特に目立つのが、「不安」「心配」という言葉です。それだけ自分の指導に自信が持てないということでしょう。

これは学校だけの問題ではない

そして、これは学校だけで起きている問題ではありません。企業でも、部下への指導に悩む上司と同じ構図です。


「強めに指導した後、次の日学校にちゃんと来てくれるか、真っすぐ家に帰るか不安になる」(40代男性)
大切なのは、その日のうちにフォローをすることです。
学校でも会社でも、指導することは必要です。しかし、叱りっぱなしにするのは指導ではありません。また、「強めの指導」とはどの程度を指すのか、という問題もあります。
ある知人の息子さんが通う公立中学校では、生徒を叱ると教員から親にその日のうちに電話がかかってきて、「こういう理由で息子さんを叱りました」と説明があるそうです。


「生徒の顔色や保護者の顔色を気にしながら指導をしないといけない時代」(30代男性)
このように回答している教員もいますが、相手の気持ちを想像し、フォローすることは、本来いつの時代でも必要なことです。


「本当にこのルールは必要なのか、それを守らせることはその子の将来に役立つことになるのだろうかと考えることはあります」(40代男性)
ルールそのものへの迷いを感じている教員もいます。
学校にも会社にも、使われていないルールがたくさんあるのではないでしょうか。誰も守っていないルールに意味はありません。ルールブックは、単なる「紙」です。

学校にも会社にもまん延する「指導したら損?」という空気

「指導死」という言葉が使われることで、指導そのものがしにくくなると感じている教員もいます。


「正直、学校現場には『指導したら損』という雰囲気もあります。生徒や保護者に強く追及され、頑張る人ほどつらい思いをしています。そのような言葉が広がれば、その空気が助長される気もします」(30代男性)
「生徒の命は大切です。そう思っていない教師はいないと思います。指導する中で生徒たちが『指導死』という言葉を盾にすることで、指導がやりにくくなったり、若い先生たちがやる気をなくしてしまったりすることを心配しています」(40代女性)
「指導することは教師の大切な仕事だと私は考える。この言葉が独り歩きし、指導=悪という印象になると、教師は指導しなくなる」(50代男性)


「指導したら損」という空気は、企業にもまん延しています。
「ヘタに指導をするとパワハラと言われる。だったら指導をしないほうがいい」と考える上司が増えています。しかし、指導そのものを放棄するのは、「適切な指導とは何か」という議論からの逃げでしかありません。

それでも「適切な指導」を考える人たちがいる

もちろん、中には「適切な指導」について真剣に考えている教員もいます。


「多くの教員が経験のないことだけに、日常の指導の先に『死』があることに認識が足りない」(40代男性)
「死に追い込んでしまうようなものは指導とは呼べないと感じます」(30代男性)
「大人の言葉ですごく傷つき命を落としてしまう子がいるのは非常に悲しいことで、あってはならないと思います。指導する側はそんな気はなくても死を選んでしまうことを頭に入れて指導していく必要があると思います」(30代女性)


指導者が自覚すべきこと

学校でも会社でも、教員や上司による「指導」や何気ない一言が、生徒や部下の心を深く傷つける場合があります。
パワハラは、被害者をメンタル疾患に追い込み、最悪、命を奪います。
不適切な指導が人の命を奪うことがあるというリスク。そして、自分が発する部下に向ける「コトバ」をより丁寧に選ぶことは、ますます、指導者側は自覚していなければいけない- あらためてご紹介した出来事から私はそう思います。

『男同士だから』が最も危ない! 学校も職場も同じ。性的いじめ、セクハラを生む『ノリ』の正体。

セクハラ研修の現場で見えてきた「盲点」


近年、セクハラ対策の研修依頼が急増しています。かつては「男性から女性へ」というイメージが強かったセクハラですが、実態は違います。女性から男性、男性から男性、女性から女性——性別を問わず、あらゆる組み合わせでセクハラは発生しています。
特に見過ごされがちなのが、男性から男性への性的いじめ・セクハラです。「同性だから」「ふざけているだけ」という言い訳のもと、深刻な被害が隠されているのです。

NHKが報じた衝撃の実態—閉鎖空間で起きた性的いじめ

2025年7月、NHKで放送された「ザ・ライフ 閉ざされた世界で~男性と性的いじめ~」(NHK福岡放送局制作)は、この問題の深刻さを浮き彫りにしました。
番組が取り上げたのは、東海大学付属福岡高校の男子剣道部で6年前に起きた事件です。当時高校1年生だった男子生徒が、部室で性的いじめの被害を受けました。畳に粘着テープで貼り付けられ、10人ほどの生徒が見ている前で上級生に下着を下ろされ、わいせつな行為を受けたのです。さらにその様子がSNSでさらされるという、極めて陰湿な事件でした。

「悪ふざけ」がエスカレートする構造

男性から男性への性的いじめには、いくつかの特徴があります。
• 集団で行われるケースが多い
• 閉鎖的な空間(部室、寮、男性だけの職場など)で発生
• 「男子校ノリ」「体育会系ノリ」の延長として始まる
• 悪ふざけが次第にエスカレートしていく
番組で取り上げられたケースも、剣道部の部室という閉鎖空間で起きました。被害生徒は剣道をやりたくて推薦で入学し、寮生活を送っていました。逃げ場のない環境だったのです。

加害者に自覚がない恐ろしさ

男性同士のいじめは、「ふざけているつもりだった」「みんなも面白がっていると思った」と軽く捉えられがちです。その結果、加害者側に「いじめをしている」という自覚が生まれにくいのです。
周囲の人間も、その場のノリで笑って見ていたり、見て見ぬふりをしたりします。それが、いじめをさらに助長させます。
「ふざけているつもりだった」「そんなつもりはなかった」
この加害者の言い訳、職場のセクハラ加害者とまったく同じではないでしょうか。

被害者の心に残る、消えない傷

加害者にとってはノリでやっている悪ふざけの延長でも、被害者にとってはまったく違います。性的いじめは、被害者の心を深く傷つけ、トラウマとして残り、命に関わることすらあります。
実際、剣道部で性的いじめを受けた少年は、その後自ら命を絶ってしまいました。彼は上級生からの厳しい指導やいじめについては親に打ち明けていましたが、性的いじめを受けていたことは誰にも話せなかったのです。

「遊びの顔をした性加害」という本質

なぜ男性の集団で性的いじめが起こりやすいのか。番組には、「男性性」と性的いじめの関係に着目して執筆活動をしている清田隆之さんが登場しました。
清田さんがヒアリングしたところ、多くの男性が性的いじめやそれにつながる経験をしているそうです。清田さん自身も中高6年間を男子校で過ごし、男子生徒同士がノリで体を触ったり、服を脱がせたりする光景を目にしてきました。
清田さんは、このような行為を「遊びの顔をした性加害」と表現します。その背景には、「多くの男性が、特有のノリに縛られている」ことがあるといいます。
だから、悪ふざけの延長として行われる性的いじめに対して「嫌だ」と言えない。見ている人たちも「それはおかしい」と声を上げることができないのです。

学生時代だけの問題ではない

男性同士の性的嫌がらせ行為を「仲間内のノリ」として軽く見る傾向は、学生時代だけではありません。社会人の職場でも「男子校ノリ」「体育会系ノリ」は確実に存在します。
学生時代に形成された「ノリに従う文化」が、そのまま職場に持ち込まれているのです。

希望の光—男子校が始めた「男性性」を問う授業

番組で印象的だったのは、京都市にある中高一貫の男子校、洛星高校の取り組みです。同校では5年ほど前から「男らしさについて考える授業」を取り入れています。
授業の一環として、男子同士のノリで起こる性暴力を想定したワークショップが行われています。そのシチュエーションは以下のようなものです。


【ワークショップのシナリオ】
体育の授業後、更衣室で着替えている男子生徒A君を、男子生徒B君がスマホで撮影するふりをして、冗談めかして「LINEでばらまく」と言います。A君の表情は曇っています。
「その場にいるあなたはどうするか」
生徒一人ひとりがこの問いに向き合い、話し合います。


これは、性的いじめやハラスメントにつながる行為を目にしたとき、どう行動するかを学ぶ取り組みです。
居合わせた人が行為者に注意したり、外部の人に協力を求めたりすることで、いじめやハラスメントを回避できることは頭ではわかっています。大切なのは、実際に行動に移すこと。こうしたワークショップは海外の大学や企業で取り入れられ、効果を上げています。

洛星高校は京都大学などの難関大学に多くの学生を送り出している進学校です。将来社会に出て活躍する若者たちが、早い段階で「男性性」と向き合い、性的いじめやハラスメントを回避する方法を学ぶ——この取り組みには大きな意味があります。
大人も見習うべきではないでしょうか。

「正論が通る空気」をどう作るか

たった1人が声を上げるだけでは、ハラスメントを止めることは難しいのが現実です。
しかし、その場にいる全員が「それはおかしい」「やめたほうがいい」と正論を息を吸って吐くように、当然かのごとく言える環境があれば、空気は変わります。
学校でも会社でも、その場のノリに流されたり、同調圧力に屈したりすることなく、「正論」を言える雰囲気を作ることが、性的いじめやハラスメントをなくすことにつながります。

そのために必要なのは「アップデート」

正論がまかり通る教室や職場の空気を作るには、一人ひとりの問題意識のアップデートが必要なのです。
• 「男同士だから大丈夫」という思い込みを疑う
• 傍観者にならず、声を上げる方法
• 組織として「正論が通る文化」を育てる 他
そのアップデートの方法を、当社の研修でご紹介します。