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「悪気はなかった」では、痛みは消えない。 ―高校野球の「死球」から考えるパワハラと職場の慣習

「死球」「刺殺」「併殺」。
野球を知っている人なら、ごく当たり前に使ってきた言葉だろう。
その「当たり前」に、宮城県高校野球連盟が問いを投げかけた。

「野球用語を考えてみませんか?」

すぐに言葉を変えよう、禁止しよう、という話ではない。
私が興味を持ったのは、むしろ、この問題提起が生まれた背景だった。

高校野球のグラウンドでは、
「殺せ!」
「刺せ!」
「盗め!」
といった言葉が飛び交うことがあるという。

もちろん、本当に殺したり、刺したり、盗んだりする意味ではない。
言う側にも、おそらく悪気はない。
野球を長くやってきた人なら、「そういうものだ」と聞き流す言葉なのかもしれない。
しかし、初めて野球の現場に来た子どもが聞いたら、どう感じるだろうか。
宮城県高野連が投げかけているのは、まさにそこへの問いである。

「そんな意味で言ったのではない」
「昔からそう言ってきた」
「みんな分かっている」
それで、本当にいいのだろうか。

この記事を読みながら、私は企業のパワハラ問題とよく似ていると感じた。 問題になる言葉の多くは、最初から相手を傷つけようとして発せられているわけではない。

むしろ厄介なのは、言っている本人も、周囲も、それを問題だと思っていないことである。
「昔から普通だった」という言葉の中に、組織の問題が隠れている。

「昔から普通だった」という免罪符

企業研修に伺っていると、繰り返し耳にする言葉がある。

「昔はこれくらい普通だった」
「悪気はなかった」
「この業界では昔からこの言い方だ」

ある職場で問題になる言動が、別の職場では平然と使われている。
その差を生んでいるものの一つが、職場の慣習である。
人は同じ環境に長く身を置けば、その「当たり前」を無自覚に取り込んでいく。
最初は引っかかった言葉も、毎日聞いているうちに違和感が薄れていく。そして自分が上司になったとき、今度はその言葉を発する側に回る。

「自分もそう育てられたから」。
こうして受け継がれていくのは、言葉だけではない。
その奥にある価値観である。

長くいる人ほど、おかしさに気づけない

 これは特定の一社の話ではない。
業種や規模の異なる企業の研修に伺うなかで、私は似たような構図を何度も目にしてきた。
管理職研修で、こんな質問を投げることがある。

「今の職場で、これは言い過ぎだと思う言葉はありますか」
多くの場合、反応は薄い。
特に思い当たらない、という表情が返ってくる。

ところが、同じような問いを若手社員にすると、違った反応が返ってくることがある。

管理職の耳にはもう何も引っかからなくなっている言葉が、若手社員の耳には「なぜ、こんな言い方をするのだろう」と違和感として届いている。

これは、能力や誠実さの差ではない。
むしろ真面目に部下を育てようとしている管理職ほど、自分が慣れ親しんできた言葉や指導の仕方を疑う機会がないこともある。

長く同じ場所にいるということは、それだけで感覚が慣れてしまうことがある。
野球でも、職場でも、それは変わらない。

だからこそ、「そんな意味で言っていない」「悪気はなかった」という説明だけでは十分ではない。
自分がどういうつもりで発したかだけではなく、相手にはどう届いたのか。
そして、その組織の文化を知らない人には、どう見えるのか。
その視点を失ったとき、組織の「当たり前」と社会の「当たり前」は、少しずつずれ始める。

「人」だけを見ても、組織は変わらない

 パワハラが起きると、私たちは本人にばかり目を向ける。

「あの管理職のコミュニケーションが悪い」
「あの人は感情的になりやすい」
もちろん、本人の言動改善は必要である。
だが、それだけで十分だとは、私は考えていない。

なぜその人物は、その言葉を使うようになったのか。
なぜ周囲は止めなかったのか。
上司はそれをどう見ていたのか。
同じような言動が、職場のあちこちで既に起きていなかったか。

さらに言えば、
「結果さえ出せば多少厳しくても構わない」
という価値観を、組織そのものが持っていなかっただろうか。

視点を「人」から「職場」、そして「組織」へ広げれば、パワハラは
個人のコミュニケーション不全だけでは説明できなくなる。
その人の言動を許容し、場合によっては強化してきた職場の空気や
組織の価値観まで見なければ、本当の原因は見えてこない。

ハラスメントとは、人と組織を映す鏡である。
私は、そう考えている。

言葉を変えれば解決するのか

では、「死球」を別の言葉に置き換えれば、問題は解決するのだろうか。
私は、そう単純な話ではないと思う。

「死球」という言葉を変えたところで、野球界の文化そのものが変わる  わけではない。
企業も同じである。

「呼び捨てをやめよう」
「さん付けにしよう」
「乱暴な言葉は禁止しよう」

もちろん、無意味ではない。
言葉を変えることで、人の意識や行動が変わることもある。
しかし、表面の言葉だけを差し替えて、その奥にある価値観が変わらなければ、本質的な問題は残ったままである。

問うべきなのは、「この言葉は禁止」という線引きだけではない。

なぜ私たちは、この言葉を当たり前だと思ってきたのか。
なぜ違和感を持たなくなったのか。
なぜ誰も「それ、おかしくないですか」と言わなかったのか。
そこには、先輩から後輩へ、上司から部下へと受け継がれてきた、
その組織固有の価値観がある。

そして、その「当たり前」の中にこそ、ハラスメントを育てる土壌が潜んでいることがある。

「違和感」は組織を映すセンサーである

 研修の現場で感じるのは、「何を言ってはいけないか」を覚えるだけでは、いずれ限界が来るということだ。
それ以上に重要なのは、自分たちの職場の「当たり前」そのものを疑う姿勢である。

「昔からこうだった」
「みんな我慢してきた」
「この業界では普通だ」
こうした言葉が出たときこそ、一度立ち止まってみる必要があるのではないか。

社会は変わる。
人の価値観も変わる。
そして、そこで働く人も変わっていく。

それなのに職場の常識だけが何十年も止まったままなら、いつか社会との間に大きなずれが生まれる。

私は、ハラスメント防止において、この「ずれ」に気づくことが非常に
重要だと考えている。
問題が表面化してから、
「誰が悪かったのか」
「どの発言がアウトだったのか」
と検証することも必要である。

しかし、その前にできることがある。
職場の中にある小さな違和感を拾うことである。

新しく入ってきた社員が、
「なぜ、こんな言い方をするのだろう」
「なぜ、誰も何も言わないのだろう」
と感じたとき、その感覚を「最近の若者は気にしすぎる」で
片づけてしまわない。
長くいる人には見えなくなったものを、新しく入ってきた人が
見つけている可能性があるからだ。
違和感は、単なる不満ではない。
組織の「当たり前」が社会の感覚とずれ始めていることを
知らせるセンサーにもなり得る。

「当たり前」を疑える組織であるか

 宮城県高野連が投げかけたのは、「死球を禁止しましょう」という単純な話ではない。
公式サイトにもあるように、あくまで「野球用語を考えてみませんか?」という問題提起である。

長く使われてきた言葉を、今の時代の目でもう一度見直してみる。
私は、その姿勢そのものに意味があると思う。

そして、この問いはそのまま企業にも向けることができる。
あなたの職場にも、長くいる人には聞こえなくなった言葉はないだろうか。
「昔から普通だった」という理由だけで、受け継がれてきた慣習はないだろうか。
「自分もそうやって育てられた」という理由で、次の世代にも同じことを求めてはいないだろうか。

新しく入ってきた人の目で、自分たちの職場を見直してみる。
そこで生まれる小さな違和感は、単なる「最近の若者の感覚」
ではないかもしれない。
組織が変わるための、重要なサインかもしれないのである。

パワハラをなくす第一歩は、問題のある人間を探し出すことだけ
ではない。
自分たちが、もはや疑わなくなった「当たり前」に気づくこと。
そこから始まるのではないだろうか。

死球は、投げた側に当てる意図がなくても、当たった側には痛みが残る。
職場の言葉も、同じではないだろうか。

参考・出典

・集英社オンライン「〈『一死』『併殺』『死球』が消える?〉『殺せ』『刺せ』が飛び交う野球界に宮城県高野連が問題提起…『言葉狩り』批判に理事長が語った“真意”」(2026年8月21日)
・宮城県高等学校野球連盟「野球用語を考えてみませんか?」

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#高校野球
#当たり前を疑う
#パワハラ



なぜ誰も止められないのか -ラグビーと横浜市役所に見る「NOと言えない組織」

先日、プロラグビー選手の山川力優さんが書いたnoteを読んで、
手が止まった。

タイトルは「なぜラグビーは夏に過酷な練習をやめられないのか
〜『負ける不安』が選手を追い詰める〜」。

同じリーグワンで戦う選手が練習中に熱中症となり、搬送先の病院で亡くなった。その事実を受けて、山川さんが自身の経験と日本ラグビー界の構造について綴った記事である。

その中に、こんな一文があった。

「試合に出たい選手ほど、外されるのが怖くて、言えない。僕も言えませんでした。言えない構造の中に、僕自身がいました。」

「言えない構造」。

この言葉が強く残った。

ラグビーだけの話ではない。
会社のパワーハラスメントも、企業不正も、重大事故も、
よく似た構図の上で起きることがある。

問題が起きたあと、私たちはつい言う。

「なぜもっと早く言わなかったのか」
「なぜ相談しなかったのか」
「なぜ止めなかったのか」

だが、本当に問うべきはそこではない。

「なぜ言わなかったのか」ではない。
「なぜ言えなかったのか」だ。

「わかっている」のに、なぜ止まらないのか

山川選手は熱中症対策について、こう書いている。

「熱中症の対策なんて、現場のみんなが『わかってる』んです。
わかっているのに、それでも事故は起きる。ということは、
これは知識の問題やなくて、構造の問題です。」

この指摘は、ハラスメント防止にもそのまま当てはまる。
多くの企業が毎年のようにハラスメント研修を実施している。
人格を否定してはいけない。
感情的に怒鳴ってはいけない。
部下の話を聴く。
困ったら相談窓口を利用する。
管理職の多くは、もうすでに知っている。
それでも、ハラスメントは起きる。
だとすれば、知識不足だけの問題ではない。

知っていても、その通りに行動できなくなる「何か」が、
組織の中に潜んでいる。
私は、そこを見なければならないと思っている。

「負ける不安」と「数字を落とす不安」

なぜ指導者は危険な練習を止められないのか。
山川選手はこう考えている。
「原因は、指導者個人の問題やなくて、『負けたら後がない』
という強烈な不安にあると思っています。」
相手チームがやっているかもしれない練習を、自分たちだけやめる。
それは指導者にとっても怖い。

企業組織と、驚くほど似た構図がここにある。

「今期の数字を落とせない」
「この目標は絶対だ」
「競合はもっとやっている」
「自分だけ未達では終われない」
その不安を抱えた管理職が、自分のところで圧力を止められず、
さらに下へ流してしまう。

「もう少し頑張れ」
「今月だけだから」
「みんなやっている」
その「もう少し」の蓄積の先に、長時間労働があり、
心身の不調があり、ハラスメントが生まれることがある。

そして、同じ構造は企業不正にもつながる。
利益を出さなければならない。
数字を達成しなければならない。
納期を守らなければならない。

プレッシャーが極端に強まれば、
「これくらいなら」
「今回だけなら」
という判断が積み重なり、ルール違反や隠蔽へ流れていくことがある。
私は、ハラスメントと企業不正はまったく別の問題ではないと
考えている。

「数字や結果への過剰なプレッシャー」という同じ土壌から
生まれることがある。 だから、ハラスメントという現象だけを
見ていても、その組織が抱えている本当の問題は見えてこない。

横浜市役所にもあった「NOと言えない構造」

このnoteを読みながら、横浜市が公表した、市長の言動に関する
第三者調査報告書を思い出した。

報告書で私が注目したのは、市長の個々の言動だけではない。
上位者の意向に沿わなければ人事上の不利益を受けるのではないか
という懸念、職員の萎縮、そして本来であれば働くべき組織内部の抑止
や牽制が十分に機能しなかったという点である。

つまり、問われているのは「誰が何を言ったか」だけではない。
なぜ、周囲は止められなかったのか。
ここに組織の問題がある。

ラグビーと市役所。
接点などないはずの二つの世界である。
だが、そこには共通する構造がある。
上の人に異論を言えば、自分の立場が危うくなるかもしれない。
評価に響くかもしれない。
試合に出られなくなるかもしれない。
異動させられるかもしれない。
そう感じれば、人は次第に黙る。

そして怖いのは、その沈黙が一人で終わらず、組織全体へ
広がっていくことだ。
パワーハラスメントを「問題のある上司」の話だけで終わらせれば、
この構造を見落とす。
その上司自身は、その上にNOと言えているのか。
その幹部は、トップにNOと言えているのか。

不安を抱えた人間が、その不安をさらに立場の弱い人間へ流す。
ここに、ハラスメントが連鎖する理由の一つがある。

心理的安全性は、数字の前で機能するのか

企業では最近、「心理的安全性」という言葉がよく使われる。

「何でも言ってください」
「異論を歓迎します」
「困ったら相談してください」
もちろん大切である。

だが、その一方で、
「数字は絶対達成しろ」
「失敗は許されない」
「未達なら評価を下げる」
というメッセージが流れていたら、人はどちらを信じるだろうか。

私は、組織の本当の価値観は、掲げる言葉には現れないと思っている。
何かと何かが衝突したとき、どちらを優先するのか。
そこに現れる。

人の安全と数字がぶつかったとき。
コンプライアンスと利益がぶつかったとき。
部下の健康と納期がぶつかったとき。
組織はどちらを選ぶのか。
社員は、その判断を見ている。
「人を大切にする」と書かれた理念よりも、数字と人がぶつかった
瞬間に経営が何を選んだのかを見ている。

そこで数字ばかりが優先されれば、「何でも言ってください」
と言われても、社員は本当のメッセージを理解する。

結局、数字の方が大事なのだ、と。

心理的安全性は、制度やスローガンだけではつくれない。
評価や処遇、そして経営の判断まで含めて、「本当に言っても大丈夫だ」と感じられる環境がなければ、絵に描いた餅で終わる。

「上が止める」しかない

山川選手の記事で、最も考えさせられた言葉の一つがある。
「上が『止める』しかない」
現場の指導者が「他チームはやっているのに、自分たちだけ止めたら
負ける」と不安を抱くなら、現場だけに判断を委ねてはいけない。
全チームに共通するルールをつくり、一定の条件になれば必ず止める。
重要なのは、そのルールが指導者を処罰するためだけのものではないということだ。

むしろ、指導者自身を「止めたくても止められない状況」から守るための仕組みでもある。

これは企業のガバナンスにも通じる。
「現場で適切に判断してください」
「コンプライアンスを守りながら数字も達成してください」
それだけでは足りない。

現場には利害がある。
評価がある。
競争がある。
だからこそ、組織として、
「ここから先はやってはいけない」
という線を引く必要がある。

良いルールとは、人を縛るだけのものではない。
正しい判断をしたい人間が、正しい判断をできるように守るものだ。
「死ぬために練習しているんじゃない」
そして、山川選手の記事には、私の胸に強く刺さった言葉が
もう一つあった。

「熱中症で死んだら、プロとか関係ない。
僕らは強くなるために練習しているのであって、死ぬために
練習しているんじゃない」

この言葉を読んだとき、私は仕事もまったく同じではないかと思った。

私たちは成果を出すために働いている。
会社を成長させるために働いている。
プロとして責任を果たすために働いている。
しかし、心身を壊すために働いているのではない。
まして、死ぬために働いているのではない。

「プロなんだから」
「管理職なんだから」
「給料をもらっているんだから」
「それくらいのプレッシャーには耐えるべきだ」
そんな言葉が、人の限界を見えなくさせることがある。

上司からのパワーハラスメントによって人が追い詰められ、
命まで失うことになったら、プロかどうかなど関係ない。
成果を出すことと、人の命や健康を犠牲にすることは、
まったく別の話である。

「メンタル」という言葉で、人の苦しみを軽くしていないか

私は、「メンタル」という言葉があまりにも簡単に使われていることにも違和感がある。
「メンタルが弱い」
「もっとメンタルを鍛えた方がいい」
「心の風邪みたいなものだから」
そんな言葉を耳にすることがある。
しかし、人の心が壊れていく苦しさを、そんな簡単な言葉で
片づけていいのだろうか。
私は時々思う。
メンタルの疾患を軽く見るのなら、その苦しさを経験してから言
ってほしい、と。
もちろん、同じ経験をしなければ人の苦しみを理解できない、
と言いたいのではない。

人は、他人の痛みを完全に経験することなどできない。
だからこそ必要なのが、想像することなのだと思う。
私はそこに、「同悲同喜」という言葉を重ねたい。
人の悲しみを自分の悲しみとして感じ、人の喜びを自分の喜び
として感じる。
同じ痛みを経験していなくても、その人が何を感じ、どれほど
苦しんでいるのかを想像しようとすることはできる。

職場に必要なのは、「もっと強くなれ」と突き放す人ではなく、
「この人はいま、どれほど苦しいのだろう」
と想像できる人ではないだろうか。
そんな想いを持てる人が、上司にも、同僚にも、そして経営者にも、
もっと増えてほしいと思う。

「本人の自己管理」で片づけてはいけない

山川選手は、もし自分が最悪の結果になっていたら、
「走り込みが足りなかったんじゃないか」
「体調が悪いなら申告すればよかった」
「自己管理ができていなかったんじゃないか」
と言われたかもしれない、と書く。

そして、こう続ける。
「僕は、言えなかっただけです。」

この一文は重い。

企業でも同じことが起きる。
「つらかったなら早く相談すればよかった」
「無理なら断ればよかった」
「自分で体調管理すべきだった」
しかし、言えない職場をつくっておいて、問題が起きたあとで
本人の自己責任へ差し戻す。
それでは何も変わらない。

むしろ、次に同じ状況になった人もまた言えなくなる。
「NOと言えなかった人」に勇気がなかったのではない。
「NOと言ったら何かを失う」と感じさせる組織だったのではないか。
そこを問わなければならない。

ハラスメントは、人と組織を映す鏡である

私は、ハラスメントとは、人と組織を映す鏡だと思っている。
誰かが強い言葉を使った。
部下を追い込んだ。
その行為だけを切り取れば、「問題のある上司」という結論で終わる。
もちろん、行為者の責任がなくなるわけではない。
しかし、そこで思考を止めてはいけない。
その背後には何があったのか。

過剰な目標。
評価への不安。
失敗を許さない空気。
「みんなやっている」という同調圧力。
上に異論を言えない関係。
そして、人よりも数字と結果を優先する組織の価値観。
そこまで見て初めて、なぜその職場でハラスメントが起きたのかが
見えてくる。

ラグビーのグラウンドで「休ませてください」と言えなかった選手。
市役所で上位者に異論を言えなかった職員。
会社で上司に「それは無理です」と言えない部下。
舞台はまったく異なる。
だが、突きつけてくる問いは同じだ。

あなたの会社では、部下は上司に「NO」と言えるだろうか。
そして、
その上司は、さらに上の人間に「NO」と言えるだろうか。
経営幹部は、トップに「それは違う」と言えるだろうか。

もし、誰もNOと言えない組織だとしたら。
その組織で本当に守られているのは何だろう。
人なのか。
それとも、
数字なのか。

「強くなるために練習しているのであって、
死ぬために練習しているんじゃない」

この言葉を、私は働く世界にも置き換えて考えたい。
私たちは、成果を出すために働いている。
成長するために働いている。
誰かの役に立つために働いている。
心身を壊すために働いているのではない。
まして、死ぬために働いているのではない。

そして最後に、もう一度問い直したい。

「NO」と言えないのは、本当にその人の勇気の問題
なのだろうか。

それとも、

「NO」と言わせない組織の問題なのだろうか。

引用出典
・yamakawa_ rikyu(山川力優 氏)
「なぜラグビーは夏に過酷な練習をやめられないのか〜『負ける不安』が選手を追い詰める〜」note (2026年8月15日)
・横浜市「横浜市長の言動にかかる第三者による調査 調査報告書」(2026年7月30日)

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。

社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、 
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#ラクビー
#横浜市役所
#NOと言えない組織
#ハラスメント

「どっちが正しいんだよ問題」とどう向き合うか ― 真逆の価値観がぶつかる職場でうまくやる考え方とは ―

会社という場所は、価値観の見本市である。

プロジェクトが行き詰まったとき、「やればできる。最後まで諦めるな」と背中を押す上司がいる。
その隣で、「無理なものは無理。現実を見よう」と冷静に言う上司もいる。
どちらの言い分も、聞けば頷ける。
だからこそ、部下は心の中でこう呟くことになる。
「で、どっちなんだよ」と。

今日はこの、職場という舞台で毎日のように起きている「どっちが正しいんだよ問題」を考えるうえで、なかなか面白い一冊を紹介したい。

ペズル著『どっちもある名言集』(ライツ社)。

この本の仕掛けは単純にして意地が悪い。
一つのテーマに対して、まったく逆のことを言っている名言を、平然と並べてくるのである。
読み進めるうちに、「正しい答えは一つではない」という、わかりきっているのに日々忘れられていく事実を、こちらの胸ぐらを掴んで思い出させてくる。
私はこの本を、単なる名言集としてではなく、職場で起きる価値観の衝突を読み解くための鏡として読んだ。
存外、使い出のある一冊だった。

「できる」と「できない」は、どちらも正しい

「やればできる」という思想がある。
ネルソン・マンデラの、何事も達成するまでは不可能に見える、という言葉に通じるものだ。
一方、太宰治には「出来ない事は、出来ないと言おう」という言葉がある。
前者は可能性を信じ、後者は現実を直視する。
どちらか一方が正しく、もう一方が間違っている、というほど話は単純にできていない。

問われるべきは「どちらが正しいか」ではなく、「いま、この状況ではどちらが必要なのか」である。
この違いに気づけるかどうかが、たぶん分水嶺になる。

「未来を見るか」「現実を見るか」

同じ構図は、未来をめぐる議論にも現れる。
ヘレン・ケラーは未来への夢を語り、ピーター・ドラッカーは現実から出発することの重要性を説いた。
夢だけを見ていては、仕事は一歩も進まない。
かといって、現実ばかりを見つめていては、新しい挑戦など生まれようがない。

組織には、未来を見る人間が必要である。
同時に、足元の現実を見る人間も必要である。
問題は、考え方が違うことではない。
自分とは違う考え方を、さっさと「間違っている」と決めつけてしまう、その手早さのほうである。

仕事は「好き」で選ぶのか、「嫌い」でもやるのか

仕事についても、真逆の思想が平然と同居している。
「好きなことで失敗したほうがいい」という考え方がある一方で、「やりたくない仕事こそ自分を磨く」という考え方もある。

若い頃には前者に共感していたのに、管理職になった途端、後者の意味が骨身に染みてわかる、ということもある。
あるいは同じ人間でも、置かれた状況次第で考え方はあっさり変わる。
つまり、私たちが「正しい」と信じているものの多くは、実のところ、その人の立場・経験・成功体験・置かれた状況が勝手に組み立てたものにすぎない。正しさというより、境遇の産物である。

なぜ、職場では「正しさ」がぶつかるのか

この本を職場という補助線で読むと、面白さの正体が見えてくる。
職場で対立が起きるとき、そこにいるのは必ずしも「正しい人」と「間違っている人」ではない。

むしろ、「自分なりの正しさ」と「相手なりの正しさ」が、ただ静かにぶつかり合っているだけ、というケースのほうが圧倒的に多いのではないか。

上司には上司の正しさがあり、部下には部下の正しさがある。
営業には営業の正しさがあり、管理部門には管理部門の正しさがある。
経営には経営の事情があり、現場には現場の事情がある。

ところが人は、自分の立場からしか世界を見られない生き物である。
そのため、いつの間にか「普通はこうするだろう」「社会人ならわかるだろう」「そんな考え方ではダメだ」と、自分の基準を「世の中の基準」に静かにすり替えてしまう。
人間関係の摩擦は、たいていこの瞬間に始まる。

ハラスメントも「自分が正しい」から始まることがある

ハラスメント研修の現場で、私は長くこの問題と向き合ってきた。
もちろん、すべてのハラスメントが価値観の違いから起きるわけではない。

しかし背景を辿っていくと、加害側に「自分は正しいことをしている」という認識があるケースは、決して少なくない。

「部下を成長させるために厳しくしている」
「これくらい、自分たちの時代は当たり前だった」
「本人のためを思って言っている」
「仕事なのだから、これくらいやって当然だ」

本人の中では、筋が通っているのである。
だからこそ厄介なのだ。

自分が間違っていると思っている人よりも、「自分は正しい」と確信している人のほうが、自分とは違う価値観に気づきにくい。皮肉なもので、確信の強さと視野の狭さは、しばしば比例する。
そして、立場や権限を持つ者の「正しさ」が肥大化すればするほど、相手は反論する余地を失っていく。

問題は「価値観が違うこと」ではない。
一つの価値観だけが絶対的な正解になり、ほかの価値観が声を上げられなくなること、それこそが問題なのである。

職場に「どっちもある」があるか

ここで視点を、個人から職場や組織へと広げてみたい。
「違う意見もあるよね」と言える職場だろうか。
上司と違う意見を口にしたとき、ちゃんと聞いてもらえるだろうか。
「私はそうは思いません」と言った人間が、面倒な人として扱われてはいないだろうか。

経営の方針に対して、現場から「それは無理です」と言えるだろうか。
もし、一つの「正しさ」しか許されない組織になっているとしたら、
問題は個人のコミュニケーション能力などという小さな話では済まない。
そこには上司と部下の力関係、職場の空気、心理的安全性、組織文化、そして経営が何を大切にしているのか、という根の深い問題まで絡んでくる。

ハラスメントは、人と組織を映す鏡である。
一人の問題行動だけを見るのではなく、「なぜ、この職場では一つの正しさだけが強くなったのか」まで踏み込んで考える必要がある、と私は思っている。

自分の中に「与党と野党」を持つ

『どっちもある名言集』の「おわりに」に、印象的な一文がある。
この本で大切なのは、深く共感した名言よりも、その隣にある逆視点の名言のほうだ、というのである。
私はこの考え方が、わりと好きだ。

人はどうしても、自分の考えを支持してくれる情報ばかりを集めたくなる生き物である。
だからこそ必要なのが、自分の中に「与党と野党」を飼っておくことだ。

「自分はこう思う。でも、逆から見たらどうだろう」
「部下から見たら、この指示はどう見えるだろう」
「自分の成功体験は、本当に今の時代にも通用するのだろうか」
「自分が間違っている可能性はないだろうか」

こうした小さな問いを自分の中に持つだけで、相手との関わり方は変わる。 私は、白洲次郎の「半分の人間に嫌われるくらいの仕事をするべき」という考え方にも共感する。

しかし、それに共感する自分がいるからこそ、反対側の考え方にも目を向けておきたい。
それが、この本を読んで改めて感じたことである。

「どっちが正しい?」から「なぜ、そう考える?」へ

職場で意見が対立したとき、私たちはつい「どちらが正しいのか」を決めたくなる。
しかし本当に必要なのは、勝ち負けを決めることではないのかもしれない。

「なぜ、あなたはそう考えるのか」
「なぜ、私はこう考えているのか」

そこに目を向けることである。

相手の価値観を理解することは、相手に同意することではない。
違う考えを持ったままでも構わない。
それでも、相手には相手なりの背景がある、と考えることはできる。
その余白がある職場では、意見の違いは「対立」ではなく「対話」になる。逆に、その余白が消えたとき、「自分の正しさ」が相手を追い詰める凶器に変わる。

今回紹介した『どっちもある名言集』。
ぜひ「おわりに」を読んだあと、もう一度最初からページをめくってみてほしい。
今度は、自分が共感する言葉ではなく、「自分なら選ばないほうの言葉」に注目してみる。
それは、自分とは異なる価値観を理解し、物事を一歩引いて見るための、地味だが効くトレーニングになる。

そして最後に、自分の職場について考えてみてほしい。

私たちの職場には、「どっちもある」と言える余白が、はたしてあるだろうか。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#価値感
#正しさ
#パワハラ

なぜ、「赤ペン先生」の言葉は人を伸ばせるのか。-ハラスメントについて考え続けてきた私が、管理職におススメの一冊

「ちゃんとほめているつもりなのに、部下に響いていない気がする。」
そんな経験はないでしょうか。

最近は、ほめ方や叱り方、1on1など、管理職向けのコミュニケーション研修も数多く行われています。パワハラにならないための、予防としての部下指導・コミュニケーション研修です。

もちろん、そうした研修はとても大切です。ただ、どんなテクニックを学ぶより先に、もっと根本的なものがあるのではないか。そんなことを考えさせられた一冊がありました。

それが、『赤ペン先生のほめ方 プロは「白紙」でもほめる。』(佐村俊恵著・ダイヤモンド社)です。
著者は「進研ゼミ」で20年以上、子どもの答案と向き合ってきた”赤ペン先生”。管理職の部下対応にも、そのまま使える視点が数多く詰まっていました。

目的は「成績」ではなく「自己肯定感」

進研ゼミが大切にしているのは、成績の向上そのものではありません。自己肯定感を育てることだといいます。だから赤ペン先生には「子どもを絶対に否定しない」姿勢が求められます。
「教えてあげる」「評価してあげる」という上から目線ではなく、
「成長を応援する」という立ち位置。
部下を「指導する対象」と見るか、「成長を支える相手」と見るか。
この違いは、日々の言葉の端々ににじみ出ます。

白紙にも「提出してくれてうれしい」

最も印象に残ったのが、白紙の答案への対応です。普通なら「次はちゃんとやろうね」と言いたくなる場面で、赤ペン先生は「提出してくれてうれしかったよ」と声をかけるそうです。
評価しているのは結果ではなく、「提出した」という行動そのものです。

職場でも、成果ばかりに目が向きがちになります。もちろん成果は大切です。しかし成果の手前には、「相談する」「挑戦する」「まずやってみる」という行動があります。
「相談してくれてありがとう」
「まず提出してくれてありがとう」。
この一言があるだけで、人は「またやってみよう」と思えるものです。
最初の一歩を認めることが、次の挑戦につながります。

「次は頑張ろう」が、相手を傷つけることもある

うまくいかなかった相手への「次は頑張ろう」。
励ましのつもりで、何度も使ってきた言葉です。
だが、これは「今回は頑張っていなかった」という意味に受け取られることがあるそうです。だから赤ペン先生は「よく頑張ったね」と伝えます。まず認めるのは「頑張った」という事実です。

管理職は、つい過程を見ずに(出来て当然)、次の目標に目を向けてしまいます。しかし本人は、すでに精一杯やっていることが少なくありません。まず努力を認める。その積み重ねが信頼をつくるのだと思います。

比べる相手は「他人」ではなく「過去の本人」

赤ペン先生には、他の子と比べるという発想がありません。「○○ちゃんはできていたよ」ではなく、「先月よりできるようになったね」。比べる相手は、他人ではなく過去の本人です。

他人との比較は、劣等感を生みやすくなります。一方で、「以前より説明がわかりやすくなったね」と自分自身の成長を認めてもらえると、「また頑張ろう」という気持ちになります。人を育てるのは競争ではなく、成長の実感なのかもしれません。

「すごい!」だけでは伝わらない

「すごいね」。この言葉だけで終わらせないのが赤ペン先生です。何が良かったのかが、これでは伝わりません。

職場でも同じではないでしょうか。「すごいね」だけでは響きません。「この資料は、結論が最初に書かれていて、とても分かりやすかった。」具体的に伝えられて初めて、「ちゃんと見てくれている」と感じられます。人は評価されること以上に、「見てもらえている」と感じたときに安心できるのだと思います。

「ちゃんと」は、実は伝わらない

「ちゃんと読みなさい。」と言われても、何をどうすればいいのかは分かりません。だから赤ペン先生は「ゆっくり読んでみよう。」「声に出して読んでみよう。」と、具体的な行動で伝えるそうです。

「主体的に」「丁寧に」「しっかり」。管理職は、つい抽象的な言葉を使いがちです。相手が実際に行動できるレベルまで具体的に伝えること。それが本当のコミュニケーションなのだと思います。

世代によって、伝わる表現は違う

本書には、赤ペン先生が「花まる」を何種類も使い分けているという話も紹介されています。ベテランになると、100種類以上のバリエーションを持っている人もいるそうです。気持ちを伝える工夫と言えるでしょう。

オンライン研修でも、同じことを感じます。20代の参加者はリアクションボタンやスタンプを積極的に使ってくれます。一方で、50代、60代になると、ほとんどリアクションがありません。
「軽い」と感じる人もいるのでしょう。
しかし若い世代にとっては、こうした小さなリアクションが
「見てもらえている」
「受け止めてもらえている」という安心感につながっています。
伝える内容だけでなく、伝え方も相手に合わせて工夫することが大切なのだと感じました。

「今のままでいていい」と伝えること

現在、日本では不登校の子どもが35万人を超えているそうです。
そんな中で、赤ペン先生は「今のままでもいていいんだよ」という、
存在そのものを認める姿勢を大切にしています。
「できる」「できない」、「結果が出た」「出ない」。
その前に、「あなたがここにいてくれること」を認める。

この姿勢は、職場でも決して無関係ではありません。
人は、自分が否定されないと感じられたときに、
初めて安心して挑戦できます。

おわりに

この本を読んで改めて感じたのは、「ほめる」とは話し方のテクニックではないということです。相手をよく見ているか。努力や成長を見逃していないか。その姿勢があるからこそ、言葉には説得力が生まれます。

「提出してくれてありがとう。」
「相談してくれてありがとう。」
「先月より説明が分かりやすくなったね。」
どれも特別な言葉ではありません。

しかし、こうした一言の積み重ねが、「この上司は自分を見てくれている」という信頼につながります。
部下を育てるのは、特別な話術ではありません。相手の変化を丁寧に見つけ、それを言葉にして伝えること。

そろそろ、「パワハラにならない部下指導」という、テクニカルの鎧を脱いでみてはどうでしょうか。

あなたも一度、赤ペン先生に添削してもらうといいかもしれません。ヒントは、案外シンプルなところにあるのだと思います。

是非、皆さんのご一読ください。おススメします。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
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#脱、パワハラにならない部下指導
#赤ペン先生
#指導とパワハラの違いを卒業しよう

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題 【6回/最終話】 正しいことを言う人ほど辞めていく会社

「それ、おかしくありませんか。」
職場で、そう思ったことはないでしょうか。
ルール違反。
品質管理の不備。
患者への危険な対応。
コンプライアンス違反。
ハラスメント。

普通に考えれば、そうした問題を指摘する人は組織から守られるべきです。しかし、オーストラリアの学会で発表された研究は、その逆が起きることを示していました。正しいことを言った人ほど、職場で孤立し、いじめの対象になり、最後には辞めていく。
この現象を研究者は、「脆弱性のパラドックス(Vulnerability Paradox)」と呼んでいました。

正しさがリスクになる組織

 発表はカナダ・ケベック州の看護師を対象にした研究でした。看護師たちは患者の安全を守るため、インスリン投与の確認漏れや、不適切な身体拘束など、倫理的に問題がある行為を見つけると声を上げます。しかし、その結果どうなったか。改善されたのではありません。
「ここでは昔からこうやっている。」
「あなたが間違っている。」
「空気を乱さないで。」
そう言われ、次第に職場で孤立していきました。

 私はこの話を聞きながら、看護の話ではないと思いました。これは日本企業でも、まったく同じことが起きています。

日本企業でも見てきた光景

品質データの改ざんを止めようとした人。
不正会計に疑問を持った人。
下請法違反を指摘した人。
ハラスメントを相談した人。
「そのやり方はおかしい」と言った人。

本来なら組織は、その人を守らなければなりません。

しかし現実には、
「余計なことを言う人」
「組織を乱す人」
「空気を読めない人」
として扱われることがあります。
そして最後には、その人が会社を去る。
問題は残ったままです。

「正しいこと」が危険になる理由

 研究では、この現象が起きる背景として、心理的安全性の低い組織文化が挙げられていました。心理的安全性が低い組織では、倫理的に正しい行動をとること自体が、個人のリスクになります。
つまり、正しいことを言うほど危険になる。だから誰も言わなくなる。沈黙する。見て見ぬふりをする。これが「脆弱性のパラドックス」です。

個人を責めても何も変わらない

 私はこの研究を聞きながら、改めて思いました。多くの企業は、「勇気を持って声を上げよう」と言います。もちろん、それは大切です。しかし、声を上げた人を守れない組織が、勇気だけを求めるのは酷です。

問題は、個人の勇気ではありません。組織の仕組みです。報復を許さない制度があるか。相談した人が守られるか。倫理的な行動が評価されるか。そこが問われています。

本当に守るべき人は誰か

 今回の研究を通じて、私は一つの問いを強く持ちました。
組織は、成果を出す人を守っているでしょうか。
それとも、正しいことを言う人を守っているでしょうか。
私は後者だと思います。

品質を守ろうとする人。
患者を守ろうとする人。
顧客を守ろうとする人。
ルールを守ろうとする人。
そういう人が安心して働ける組織こそ、本当に健全な組織です。
逆に、そうした人が辞めていく組織では、残るのは沈黙だけです。
そして、その沈黙の先に、不正やハラスメントは育っていきます。

ハラスメント対策の本質

 私はこれまでの連載で、ハラスメントは個人の問題ではなく、組織の問題であると書いてきました。今回の研究は、その考えをさらに強くしてくれました。ハラスメント対策とは、加害者教育だけではありません。
相談窓口を設置することでもありません。本当に必要なのは、正しいことを言う人が、安心して働き続けられる組織をつくることです。
そのためには、倫理的な行動を守り、評価し、報いる文化が必要です。それがなければ、組織は誠実な人から順番に失っていきます。

おわりに

 私はこの発表を聞きながら、「組織は誰を守るのか」という問いを、何度も自分自身に投げかけていました。
不正を見逃す人でしょうか。
沈黙する人でしょうか。
それとも、「それは違う」と言える人でしょうか。
組織の未来は、その答えで決まるのだと思います。

 そしてこの問いは、脆弱性のパラドックス一つに留まりません。
今回、6回にわたって書いてきた各回のテーマ、社会的伝染、PSC、ボトムライン思考、いじめの生産性仮説、ダークリーダーシップ、逆機能の凝集性、そのすべてが、結局はこの一つの問いに集約されます。

組織は、誰を守るために存在しているのか。

最後に

 今回の学会を通じて、私がもっとも強く感じたのは、ハラスメントや職場いじめを「誰が悪いのか」という問題だけで捉えていると、本質を見誤るということです。もちろん、加害行為を放置してよいという意味ではありません。しかし、問題が繰り返される職場では、個人の言動の背後に、相談しにくさ、見て見ぬふり、リーダーの孤立、報告の遅れ、制度の形骸化といった、組織全体の兆候が積み重なっています。

 重要なのは、事件が起きてから対応することではなく、事件になる前のほんの些細なサインを読み解く力です。ハラスメントは、単なる人間関係の問題ではありません。組織の心理的安全、ガバナンス、リーダーシップ、そして人を大切にする価値観が、どれだけ機能しているかを映し出すサインでもあります。だからこそ、これからのハラスメント防止は、職場の空気を読み、声にならない違和感を拾い、組織がどこで人を追い詰めているのかを見抜く視点が必要です。
 今回の学びを通じて、私は改めて、ハラスメント防止を「組織の健康診断」として捉え直す必要があると感じました。

 キャンベラの広大な大地の一角にある国立大学の構内で、世界中の国と地域から集まった研究者や実務家が、職場のハラスメントやいじめの問題に真剣に向き合っている。その光景には、大きな心強さを感じました。

 そして最後に、6月のキャンベラは本当に寒かった。学会で得た学びも深く沁みましたが、寒さに震えながらホテルに戻り、日本から持ってきた味噌汁を飲んだ瞬間、その温かさもまた、しみじみと心に沁みました。

キャンベラで出会った多くの先生方、研究者の皆さまに、心から感謝します。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#PCS
#ハラスメント防止
#経営者のハラスメント責任

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第5回】 魚は頭から腐る-ハラスメントを生む組織は、どこから壊れ始めるのか

 前回は、ダーク・リーダーシップのもとで生まれる「逆境による連帯」について書きました。一見すると仲がよく、助け合っているように見えるチームでも、その結束が共通の目的ではなく、共通の恐怖や不満から生まれていることがある。つまり、「仲がいい職場」と「健全な職場」は同じではない、という話でした。

今回取り上げたいのは、そのさらに上流にある問題です。職場のいじめやハラスメントは、どこから生まれるのか。現場の上司なのか。加害者個人の性格なのか。部下との相性なのか。もちろん、そうした要素もあります。しかし、アデレード大学のMay Young Loh氏の発表を聞きながら、私は改めてこう感じました。職場の問題は、現場だけで起きているのではない。組織の価値観が、上から下へと流れているのだ、と。

発表の中で印象的だったのが、「魚は頭から腐る」という表現でした。組織の腐敗や不健全さは、現場の末端からではなく、トップの価値観や優先順位から始まるという意味です。

ハラスメントは個人の問題なのか

多くの企業では、ハラスメントが起きると、まず個人に目が向きます。あの上司の言い方が悪い。あの部下との相性が悪い。あの管理職のコミュニケーション能力に問題がある。もちろん、個人の行動を見直すことは必要です。しかし、それだけで終わってしまうと、本当の問題を見落とします。

なぜ、そのような行動が許されていたのか。
なぜ、周囲は止められなかったのか。
なぜ、相談しても変わらなかったのか。
なぜ、数字を出す人なら多少の問題行動が見逃されたのか。

そこを見なければ、同じ問題は繰り返されます。

Loh氏の発表は、職場でのいじめや不当な扱いを、個人の性格ではなく、マネジメントの価値観と組織システムの問題として捉えていました。私はここに、日本企業が学ぶべき大きな視点があると感じました。

PSCは「原因の原因」である

今回の発表で中心にあったのが、PSCです。PSCとは、Psychosocial Safety Climate、ここでは、会社は本気で自分たちの心の安全を守ってくれると、全社員が実感できている組織の文化、風土のことです。日本語に直訳すると、心理社会的安全風土。オブラートに包まずに言い換えれば、ハラスメントを撲滅するか否かを決める、経営陣の覚悟と制度です。もっと簡単に言えば、この組織は従業員の心理的健康を本気で守ろうとしているか、という組織全体の空気です。

ただし、これは単なる職場の雰囲気ではありません。仲がいい、話しやすい、相談しやすい。それだけではPSCとは言えません。PSCは、従業員の心理的健康を守るための方針、実践、手続きが、組織の中でどれだけ共有されているかを示すものです。つまり、仕組みの問題です。

Loh氏の発表では、PSCは「Cause of the Causes」、原因の原因と位置づけられていました。ハラスメントが起きる。メンタル不調が増える。離職が増える。現場が疲弊する。多くの企業は、そこで初めて対応します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見ます。なぜ、そのような職場になったのか。なぜ、過度なストレスが放置されたのか。なぜ、管理職が部下を守れなかったのか。なぜ、心理的健康よりも生産性が優先されたのか。ここに目を向けるのです。

生産性か、人間か

この研究が突きつけていたのは、非常に厳しい問いでした。あなたの組織は、生産性を優先しているのか。それとも、人間を優先しているのか。もちろん、企業にとって生産性は重要です。利益も必要です。成果も必要です。しかし問題は、生産性そのものではありません。問題は、生産性が人間より上に置かれることです。

過度な成果主義。過剰な内部競争。短期的な数字への圧力。結果を出せば多少のことは許される、という空気。こうしたものが積み重なると、いじめやハラスメントは単なる逸脱行動ではなくなります。成果を最大化するための手段として、事実上それが機能してしまうことがあります。発表では、これを「いじめ生産性仮説」として紹介していました。人間のニーズが軽視され、極端な生産性圧力がかかる環境では、いじめが労働を統制するための機能的なメカニズムになり得る。これは非常に重い指摘です。

会社が公式にハラスメントを認めることはありません。しかし実際には、強く詰める人が評価される、部下を追い込んでも数字を出せば許される、現場が疲弊していても結果が出ていれば問題視されない、そうした職場では、ハラスメントは禁止されているのではなく、黙認されているのかもしれません。

トップの価値観は現場に落ちてくる

組織の価値観は、言葉ではなくシグナルとして現場に伝わります。経営トップが何を評価するのか。どの行動を昇進させるのか。どの管理職を重用するのか。どの問題を見逃すのか。どこに予算をつけるのか。何を仕方ないとするのか。それらはすべて、現場へのメッセージになります。

経営層が「人を大切にする」と言っていても、実際には数字だけで評価していれば、現場はそれを学習します。経営層が「ハラスメントは許さない」と言っていても、数字を出す管理職の問題行動を見逃していれば、現場はそれを学習します。経営層が「心理的健康は大事だ」と言っていても、人員不足を放置し、過剰な目標を課し続ければ、現場はそれを学習します。つまり、現場の管理職は、トップの建前ではなく、実際に報われる行動を見ているのです。魚は頭から腐る。その言葉の意味は、まさにここにあります。

良い上司も、悪い空気には勝てない

多くの企業は、ハラスメント対策として管理職研修を行います。もちろん、管理職研修は必要です。しかし、Loh氏の発表で重要だったのは、管理職の有効性は組織全体のPSCに左右されるという点です。

PSCが高い組織では、管理職は部下を守ることに自信を持てます。部下の心理的健康を守る行動が、組織から評価されるからです。過度な生産性圧力から部下を守っても、それが管理職として正しい行動だと認められるからです。一方、PSCが低い組織では、良い上司であっても部下を守りにくくなります。部下を守れば、自分が甘いと見られる。目標達成を優先しなければ、評価されない。人を守る行動が、組織から報われない。そうなると、管理職は板挟みになります。本人に良心があっても、組織の空気がそれを無力化してしまうのです。

だから私は、管理職研修だけでハラスメント対策を終わらせることに違和感があります。管理職個人に「部下を大切にしなさい」と言いながら、組織全体では数字だけを徹底的に追わせる。これでは、現場の管理職を苦しめるだけです。

個人のレジリエンスに逃げてはいけない

最近は、従業員のレジリエンスを高める研修も増えています。ストレスに強くなる。折れない心をつくる。困難を乗り越える力を身につける。もちろん、個人の力を高めることは大切です。しかし、それを組織の責任回避に使ってはいけません。
燃え盛る火の中に人を置いて、熱さに耐える力を身につけましょうと言っているだけになっていないか。私はそこを問いたいのです。PSC研究が示しているのは、個人を鍛える前に、環境を変えなければならないということです。過度な仕事量。矛盾した評価制度。機能しない相談窓口。報復を恐れて声を上げられない空気。数字を出せば何をしても許される文化。これらを放置したまま、個人のレジリエンスだけを高めようとするのは、順番が違います。

ハラスメントは経営リスクでもある

今回の発表では、職場での不当な扱いがもたらす経済的損失にも触れられていました。世界全体で、多くの従業員が職場で不当な扱いを経験しており、それによる生産性低下は非常に大きな規模にのぼるとされています。従業員5,000人規模の組織でも、病欠、離職、生産性低下によって年間数百万ドル規模の損失が生じるという試算が、参考値として示されていました。

つまり、ハラスメントは倫理の問題であると同時に、経営の問題でもあります。人が壊れる。現場が疲弊する。優秀な人材が辞める。サービス品質が落ちる。事故やミスが増える。採用ブランドが傷つく。それらはすべて、組織のコストになります。にもかかわらず、多くの企業はハラスメントを人事の問題として小さく扱いがちです。私はここにも、日本企業の大きな課題があると感じます。ハラスメントは人事の問題ではありません。究極は、経営の問題です。

本当に見るべきもの

ハラスメントが起きた時、本当に見るべきものは何でしょうか。加害者の性格だけでしょうか。被害者の受け止め方でしょうか。管理職のスキル不足でしょうか。もちろん、それらも見る必要があります。しかし、それだけでは足りません。本当に見るべきなのは、組織の上流です。
トップは何を優先しているのか。どんな管理職が評価されているのか。部下を守る行動は報われているのか。相談制度は本当に労働者を守るために機能しているのか。生産性の圧力から人を守る仕組みはあるのか。PSCは、こうした問いを組織に突きつけます。だから私は、PSCを単なるメンタルヘルスの概念としてではなく、組織の健康診断、さらにはガバナンス指標として見ています

おわりに

職場のいじめやハラスメントは、突然生まれるわけではありません。それは、組織の価値観が積み重なった結果として現れます。人より数字を優先する。部下を守る管理職が評価されない。問題を指摘する人が煙たがられる。相談制度が組織防衛のために使われる。そうした小さなシグナルが積み重なることで、職場の空気はつくられていきます。

魚は頭から腐る。この言葉は厳しいですが、組織を見るうえで非常に重要な視点だと思います。そして同時に、希望もあります。頭から腐るのであれば、頭から変えることもできる。経営層が本気で価値観を変えれば、組織の空気は変わります。組織の空気が変われば、管理職の行動が変わります。管理職の行動が変われば、現場の経験が変わります。

ハラスメント対策は、加害者教育だけでは終わりません。相談窓口を置くだけでも終わりません。本当に必要なのは、組織が何を大切にするのかを問い直すことです。

あなたの会社は、従業員を「成果を出すための道具」として見ているでしょうか。それとも、「守るべき人間」として見ているでしょうか。その答えこそが、組織のPSCを決めているのだと思います。


この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#PCS
#ハラスメント防止
#経営者のハラスメント責任

オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第4回】 「仲がいい職場」が危ないこともある―「偽りの心理的安全性」、最悪の上司のもとで生まれる逆境による連帯

 前回は、数字や生産性を過度に優先する組織ほど、ハラスメントや不祥事を生み出しやすくなるのではないか、という話を書きました。今回取り上げたいのは、少し違う角度から見た職場の問題です。それは、チームの仲がいいことは、本当に良いことなのか、という問いです。

 一見すると、仲のよい職場は健全に見えます。部下同士が助け合っている。愚痴も言い合える。飲み会では盛り上がる。困った時には支え合う。しかし、オーストラリアの学会で聞いたある研究は、私に違う視点を与えてくれました。ダーク・リーダーシップのもとで生まれる、「逆境による連帯(Adverse Cohesion)」という考え方です。

ダーク・リーダーシップとは何か

 リーダーシップという言葉には、一般的に前向きな響きがあります。人を導く。チームを鼓舞する。未来を示す。組織を成長させる。しかし、リーダーシップには影の側面もあります。学会では、ダーク・リーダーシップという概念が紹介されていました。

有害で、非倫理的で、操作的なリーダー行動を指すものです。背景概念として、自己愛、マキャベリズム、サイコパシーといったダーク・トライアドにも触れられていました。

ただ、私が強く関心を持ったのは、リーダーの性格分類そのものではありません。むしろ、そのようなリーダーのもとで、部下やチームに何が起きるのか、という点でした。

最悪の上司のもとで、なぜ部下は団結するのか

 非常に興味深かったのは、有害なリーダーのもとで、部下同士が一時的に強く結束することがあるという指摘です。普通、チームの結束は共通の目標やビジョンから生まれます。しかしこの研究が示したのは別の結束でした。共通の目標ではなく、共通の敵によって生まれる結束です。

それが「逆境による連帯」です。

 上司が理不尽である。指示がころころ変わる。感情で判断する。部下を信頼しない。人によって態度を変える。そうしたリーダーのもとで、部下たちは次第に公式な場で本音を言わなくなり、代わりに裏でつながるようになります。

「あの人には気をつけた方がいい」
「また始まったね」
「みんなで何とか乗り切ろう」
こうして、リーダーを除いたメンバー同士の連帯が生まれます。

それは健全なチームワークではない

 ここで注意が必要です。この連帯は、一見すると良いチームワークに見えることがあります。部下同士が助け合い、情報を共有し、励まし合い、困難な状況でも踏ん張っている。経営者や人事から見れば、「あのチームは意外とまとまっている」「結束力がある」と映るかもしれません。

  しかし、それは健全な結束ではありません。組織を良くするための連帯ではなく、自分たちを守るための連帯だからです。前向きな目標に向かっているのではなく、有害なリーダーから身を守るために団結している。ここを見誤ると、組織は大きな判断ミスをします。

逆境による連帯は、短期的には強く見える

 この研究で特に重要なのは、逆境による連帯が短期的にはパフォーマンスを支えることがあるという点です。メンバー同士が支え合う。理不尽な上司に対抗するために情報共有する。互いに励まし合う。その結果、一時的には踏ん張る力が生まれます。
しかし、それはチームの生命力を前借りしているようなものです。本来なら顧客のため、組織の改善のため、未来のために使われるはずのエネルギーが、リーダーへの防衛に使われてしまう。これは非常に大きな損失です。

長期的には、創造性が止まる

 逆境による連帯が長引くと、チームは疲弊します。失敗を恐れるようになる。新しい提案をしなくなる。目立たないように働く。リーダーの機嫌を読むことが仕事になる。公式なコミュニケーションは死に、裏の会話だけが増えていく。これでは、イノベーションは起きません。表面上は仲がよくても、実際には組織の創造性が止まっているのです。

「仲がいい」と「健全である」は違う

 日本企業では、職場の仲の良さが重視されることがあります。和気あいあいとしている。チームワークがある。助け合いがある。もちろん、それ自体は悪いことではありません。
ただ、私はこの学会に出るまで、「仲がいい職場」を疑ったことがありませんでした。「上司は最悪だけど、メンバーはいい人たちなんです」「部長がいないところでは、みんな本音で話します」「現場は現場で何とか回しています」。こうした言葉を、私は今まで前向きな文脈で聞いていた気がします。踏ん張っている証拠だ、と。

しかし逆境による連帯という視点を知ってから、同じ言葉が違って聞こえるようになりました。それは組織が健全だという証拠ではなく、公式なマネジメントが機能していないサインかもしれない、と。

「心理的安全性」にも落とし穴がある

 最近、日本では「心理的安全性」という言葉を聞かない日はありません。安心して発言できる職場。何でも相談できるチーム。本音を言える雰囲気。もちろん、それ自体はとても大切なことです。

しかし今回の学会は、私にその言葉の落とし穴を教えてくれました。

一見すると仲がよく、何でも話せるチームでも、その結束が共通の目的ではなく共通の敵によって生まれていることがある。「上司が理不尽だから、私たちだけで支え合おう」という関係です。メンバー同士は本音を話し、助け合い、励まし合っています。しかし、その目的は組織を良くすることではない。自分たちが生き残ることです。

  上司から見れば「仲がいいチームだ」と映るかもしれません。しかし実際には、リーダーへの恐怖によって生まれた避難所になっている可能性がある。私はあえて、これを「偽りの心理的安全性(恐怖による結束)」と名付けました。

仲がいいことと、心理的に安全であることは、同じではありません。本音を話していることと、健全な組織であることも、同じではありません。

本当に見るべきもの

 チームがまとまっているか。成果が出ているか。離職者がまだ出ていないか。それだけでは足りません。
 
  見るべきは、その結束が向かっている先です。共通の目的に向かっているのか、それとも共通の恐怖に耐えているだけなのか。公式な場で本音が語られているのか、それとも裏でしか本音が語られていないのか。

 ダーク・リーダーシップの怖さは、単に部下を傷つけることだけではありません。チームのエネルギーの使い道を歪めてしまうことです。本来、未来をつくるために使うべき力が、リーダーに耐えるために消費されてしまう。これは、組織にとって大きな損失です。

おわりに

 今回の発表で印象に残ったのは、悪いリーダーのもとでも、チームは一時的に団結することがあるということでした。しかし、その団結は希望とは限りません。それは、組織が危険な状態にあることを知らせるサインかもしれません。

  あなたの職場の結束は、共通の目的に向かうためのものでしょうか。それとも、誰かに耐えるためのものでしょうか。この問いは、職場の健全性を見極めるうえで、とても重要だと思います。

次回も、さらにセッションで私が気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
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#PCS
#オーストラリア
#ハラスメント
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「心理的安全性」を口にする前に、管理職が忘れてしまったこと~AI時代に求められるのは、スマートな管理より 「弱さをさらけ出す」強さ~

「心理的安全性」。
この言葉、もう聞き飽きた管理職も多いのではないでしょうか。

一体、この言葉を聞いて「うちはもう実現した」と胸を張れる経営者が、どれだけいるでしょう。

もちろん、本当に体現できている組織もあると思います。
けれど多くは、あの「挨拶運動」と同じ道をたどりつつある気がしてなりません。朝礼で唱和され、ポスターに貼られ、いつしか誰も本気で信じていないスローガンと化していく道です。

誰もが安心して意見を言え、困ったことがあれば気軽に相談できる職場。そんな組織が実現すれば理想的です。

しかし、私たちは安心して本音を話せる職場をつくれているでしょうか。

 先日放映されていたNHK「クローズアップ現代」では、AIに孤独を打ち明ける高齢者を取り上げていました(2026年6月23日「病から老いの悩みまで”最期の相談”をAIに」)。

私には、それが職場で起きていることと重なって見えたのです。

家族や医師には話せない悩みをAIに話す高齢者と、

上司や同僚に本音を話せず、一人で抱え込んでしまう会社員。

「誰にも迷惑をかけたくない」

という気持ちから、孤独になってしまう構図は、とてもよく似ているように感じます。

完璧を求めるほど、人は孤独になる

番組の中で、4,000人以上の看取りに立ち会ってきた医師の小澤竹俊さんが、印象的な話をされていました。

現場で高齢者から最もよく聞く言葉は、

「迷惑をかけたくない」

だそうです。

相談することも、弱音を吐くことも、誰かに頼ると迷惑をかけてしまう。そう思ってしまうから、人ではなくAIに話しかける人が増えている。
それが現実なら、それは医療だけの問題ではなく、日本社会全体の課題だと話されていました。

私は、この話はそのまま職場にも当てはまると思っています。

「こんなことを相談したら迷惑だろう。」

「できないと思われたくない。」

「弱みを見せたら評価が下がる。」

このように考えて、本音を飲み込んでいる社員は少なくありません。

私たちが、AIより優れているのは「弱さ」にある

正しい答えを導きだすことについては、AIはますます優秀になっていくでしょう。

しかし、人の弱さに寄り添い、そばにいて共感する「たおやかさ」があるのは、人間だからこそできることです。

そして、この共感は、自分自身の弱さを自覚している人ほど深くなります。

私たちが、AIよりも優れているのは「弱さ」であり、

「人間は100点は取れない」

と小澤さんは言います。

この言葉に、効率化と最適化を求める現代のビジネスパーソンは、どれほど耳を傾けられるでしょうか。

これまで私たちは、100点満点のパフォーマンスを求め、弱さを「能力不足」と定義して排除してきました。

その結果、パワハラはなくならず、メンタルヘルスの問題も増え続けています。

部下が

「できました!」

と嬉しそうに報告しても、上司は

「じゃあ、次のタスクは?」

と冷徹に処理する。

そのとき、部下は悟ります。

上司は自分のことなど分かっていないし、分かろうともしていない、と。

心理的安全性は、理念ではなく関係性

番組の中で小澤さんは、

「医療の果たす役割は、幸せになること」だと言います。

そのためには、

「わかってくれる誰かがいること」が大切だと。

仕事も同じです。

「ウェルビーイング」

「心理的安全性」

どれだけ立派な言葉を掲げても、目の前の部下の感情の機微さえ汲み取れない管理職では、本当の意味での心理的安全性は生まれません。

「心理的安全性」という言葉を覚える前に、私たちがかつて飲み屋のカウンターで、グラスを傾けながら、

「先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど……」

と、泥臭く本音をぶつけ合えたあの夜を思い出してほしいのです。

あの湿っぽく、不器用で、しかし確かな人間味のあった関係性が、今のオフィスからは消え失せています。

「正の遺産」は、今日の対話から

SDGsやSWGs(持続可能なウェルビーイング目標)。壮大な国際アジェンダを語るのは、簡単です。
難しいのは、それを目の前の一人に落とし込むことです。

ゴールは、どこか遠くにあるのではありません。
今、あなたの目の前にいる部下との対話の中にしかないのです。

会社の理念やビジョンも必要です。

けれど、それ以上に大切なのは、今、目の前の部下にどう向き合うか。

その小さな「個別の対話」の積み重ねこそが、結局のところ、SWGsという壮大な目標を支える、いちばん足元の土台なのだと私は思います。

弱さをさらけ出せるリーダーになる

先に紹介した番組を見て、私は改めて確信しました。

これからの管理職に必要なのは、「完璧さ」ではありません。

部下に対して「弱さ」をさらけ出し、等身大の人間として感情を分かち合えること。

そして、部下の言葉にならない気持ちを汲み取る「共感の感度」を磨くことです。

この感度こそが、今ビジネスの現場で再注目されている「非認知能力」の真髄ではないでしょうか。

数値化できないし、一朝一夕では身につかないけれど、人と人とが関係を築く上で欠かせない力。

それを持つために、最も基本にして、最も重要なのが観察力としての
「挨拶」です。

もちろん、ただの「惰性」としての挨拶ではありません。

「今日も元気かな?」

「少し疲れているように見えるな」

と、相手の微細な変化を「よく見る」ための挨拶です。

弱さを認め合える関係は、日々の小さな関わりの積み重ねによって生まれます。完璧な成果を競う前に、目の前の相手の存在を認め、自分もまた一人の未熟な人間であることを差し出す。

そうして初めて、お互いの心が近づきます。

明日、部下の顔を見たとき、一瞬だけ立ち止まって、その表情の奥にある感情に目を向けてみませんか。

「なんだか少し嬉しそうだな」

と、相手の感情を想像しながら、挨拶をする。

そんな不器用で、けれど人間らしいやりとりこそが孤独を癒やし、ひいては次世代に「正の遺産」を残すための第一歩になると、私は信じています。



この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。

社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、 
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題 【第3回】 なぜ数字ばかり追う会社ほど、人が壊れていくのか

 前回は、アデレード大学のMay Young Loh博士の研究をもとに、「職場のいじめは社会的伝染病である」という考え方を紹介しました。職場いじめは個人の問題ではなく、組織全体に広がる現象であり、その背景には組織風土の課題があるという話でした。

  学会ではハラスメント研修の効果研究も発表されていました。しかし私自身が強く関心を持ったのは、研修手法よりも「なぜその職場でハラスメントが生まれるのか」という組織要因の研究でした。
 そんな中で特に印象に残ったのが、PSC研究の第一人者であるMaureen Dollard教授らの研究です。この研究は、ハラスメントそのものではなく、なぜ職場がハラスメントを生み出す環境になってしまうのかを問いかけていました。

生産性を追うことは悪ではない

  誤解してほしくないのですが、生産性を高めることを悪と決めつけるつもりはありません。企業にとって生産性は重要です。利益も必要です。効率化も必要です。問題は、生産性を重視することではありません。生産性しか見なくなることです。

  今回の研究で紹介されていたのが、「Bottom-Line Mentality(ボトムライン・メンタリティ)」という概念でした。利益、売上、KPI、業績などの数値目標だけを最優先し、それ以外の価値を軽視してしまう状態を指します。従業員の健康、働きがい、職場の人間関係、倫理観。そうしたものが後回しになり、気づけば「数字さえ達成できればいい」という空気が組織全体を支配するようになります。

人ではなく数字を見る組織

 私はハラスメント問題に関わってきました。そこで感じるのは、問題を起こした人だけを見ても、本質は見えないということです。私はむしろ、この組織は何を大切にしているのだろう、という視点で見ることがあります。売上を最優先しているのか。人を最優先しているのか。利益を追うこと自体は悪くありません。しかし、人より数字を優先する文化が定着すると、組織は少しずつ変質していきます。
 人はコストになる。会話は非効率になる。支援は甘えになる。やがて職場から余裕が消えていきます。

ハラスメントは管理ツールになる

 今回の研究で最も衝撃的だったのが、「Bullying Productivity Hypothesis(いじめ生産性仮説)」でした。非常に刺激的な名前ですが、内容はもっと刺激的です。研究では、過剰な生産性プレッシャーの下では、いじめが単なるトラブルではなく、労働管理の手段として事実上利用されることがあると指摘しています。

  もちろん、会社が公式に「いじめを推奨します」などと言うことはありません。しかし現実には、強く詰める人が評価される、厳しく追い込む人が成果を出す、部下を萎縮させても結果が出れば問題視されない、そんな環境が生まれることがあります。
すると、ハラスメントは黙認されます。そして組織の中で、「多少厳しくても結果が出ればいい」という空気が形成されていくのです。

管理会計の問題なのか、もっと上流の問題なのか

  先日、SNSで「管理会計がうまく機能しない会社ほどハラスメントが起きる」という趣旨の投稿を見かけました。非常に興味深い指摘だと思いました。確かに無理な目標設定や過度な成果主義は、現場に大きな負荷を与えます。しかし今回の研究を聞いて感じたのは、それはさらに上流の問題ではないかということです。

  問題は管理会計そのものではありません。問題は、利益や生産性を、人の健康や安全より優先する価値観です。管理会計が悪いのではない。KPIが悪いのでもない。数字しか見なくなる組織の価値観が問題なのです。

PSCという考え方

 ここでPSC(Psychosocial Safety Climate)が重要になります。
PSCとは、組織が従業員の心理的健康をどれだけ大切にしているかを示す組織風土です。経営陣のコミットメント、経営陣の優先順位、組織的コミュニケーション、組織的参加。この4つの柱で構成されます。

重要なのは、PSCは福利厚生の話ではないということです。メンタルヘルス施策の話でもありません。PSCとは、この会社は利益と人間のどちらを優先するのか、という経営の価値観そのものです。

ハラスメントだけを見ていても、本当の問題は見えない

 今回の発表を聞きながら、私は改めて感じました。ハラスメントは原因ではありません。症状です。ハラスメントが起きた。離職が増えた。メンタル不調者が増えた。不祥事が起きた。その時、多くの企業は個別の問題として対応します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見ています。
なぜそんな職場になったのか。なぜ誰も止めなかったのか。なぜ沈黙が続いたのか。なぜ人より数字が優先されたのか。

  私は以前から、「ハラスメントだけを見ていては、本当の問題は見えない」と伝えてきました。ハラスメントはそれ自体撲滅すべきことですが、他方でハラスメント自体が問題の本質とは言い切れない側面があります。

 組織の価値観や風土、マネジメントのあり方が表面化した一つのサインなのです。だから、これから本当に見るべきなのは、ハラスメントという現象ではなく、その現象を生み出した組織の価値観や風土ではないでしょうか。

 今回の研究は、その考え方を科学的に裏付けるものだと感じました。
私はこれまで、下請法違反が起きる会社ではハラスメントも起きやすく、ハラスメントが起きる会社では品質問題やコンプライアンス違反も起きやすいという現場を数多く見てきました。
 当時は、経験則でしか説明できませんでした。しかし今回オーストラリアでPSC研究を聞き、その背景には「人より数字を優先する組織風土」があるという説明を受け、長年感じてきた違和感が一本につながった気がしました。

おわりに 

 もしも今、「結果がすべてだ」「数字がすべてだ」「多少無理をしても仕方がない」という言葉が当たり前になっている職場があるとしたら、少し注意が必要かもしれません。
 ハラスメントは突然発生するわけではありません。組織が人より数字を優先し始めた時から、静かに始まっているのかもしれないのです。

オーストラリアの学会では、ハラスメントを個人の問題としてではなく、組織の価値観やガバナンスの問題として捉える研究が数多く発表されていました。

次回も、別のセッションで私が特に気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
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「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。


最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
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ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第2回】 職場が「毒」に変わる瞬間―ハラスメントはなぜ伝染するのか

 前回は、オーストラリアの研究者Maureen Kyne氏による「上向きのいじめ(Upward Bullying)」を紹介しました。優秀なリーダーが、表面上は正当な苦情や手続きの陰で少しずつ権威を失い、やがて組織を去っていく。そんな現象が日本企業でも起きていることを書きました。
今回書くのは、その「なぜ」です。なぜ職場でハラスメントは起きるのか。なぜ問題のある職場では、同じ問題が繰り返されるのか。その答えを示してくれたのが、アデレード大学のMay Young Loh博士の研究でした。

ハラスメントは伝染する

  私たちはハラスメントを個人の問題として考えがちです。加害者がいて、被害者がいる。だから加害者を指導すれば解決する。しかしLoh博士の発表は、この前提そのものに疑問を投げかけます。彼女が示したのは、「職場のいじめは社会的伝染病である」という考え方でした。

いじめは加害者と被害者の間で完結しません。傍観者が同調し、管理職が黙認し、経営陣が見て見ぬふりをする。それぞれが影響し合いながら、組織全体へ広がっていく。まるで感染症のように。

職場が毒に変わる瞬間

 興味深かったのは、いじめが広がる職場に共通点があることです。それは、誰も止めないということです。
上司が見て見ぬふりをする。人事が動かない。周囲が沈黙する。すると何が起きるか。最初は異常だった行動が、やがて普通になります。陰口が当たり前になる。排除が当たり前になる。情報共有をしないことが当たり前になる。そして、「この会社ではそういうものだ」という空気が生まれる。
私はこれを、職場が毒に変わる瞬間だと思いました。

ストレスは下へ流れる

  発表の中で特に印象に残ったのが、「置き換えられた攻撃性(Displaced Aggression)」という考え方です。役員から厳しく責められた部長がいる。部長は役員には反撃できない。だから課長に当たる。課長はさらに担当者に当たる。担当者は新人に当たる。こうしてストレスが階層を下へ下へと流れていく。
日本企業でもよく見る話です。しかし本当に問題なのは、その連鎖を誰も止めないことです。

PSCという考え方

 ここで登場するのが、PSC(Psychosocial Safety Climate)、心理社会的安全気候です。簡単に言うと、この会社は利益よりも人を大切にしているか、 という組織の空気です。経営陣は本気で従業員の健康を守ろうとしているか。心理的健康は利益と同じくらい優先されているか。安心して声を上げられる仕組みがあるか。従業員が改善活動に参加できているか。この4つで構成されます。

重要なのは、PSCは心理的安全性とは違うということです。心理的安全性はチームの話です。PSCは経営の話です。現場がどれだけ頑張っても、経営がエンゲージメントの数字やハラスメントアンケートのパーセントしか見ていなければ、PSCは高くなりません。

私が最も共感したこと

  今回の発表で最も印象に残ったのは、PSCは「原因の原因(Cause of Causes)」であるという考え方です。ハラスメントが起きた。離職が増えた。メンタル不調が増えた。不祥事が起きた。普通はそこで原因を探します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見る。なぜそんな職場になったのか。なぜ誰も止めなかったのか。なぜ沈黙が続いたのか。そこに注目します。
私は以前から、ハラスメントは症状であって病気ではないと言ってきました。今回のPSC研究は、その考え方を科学的に裏付けるものだと感じました。

日本企業への問い

 私は今回の発表を聞きながら、日本企業のハラスメント対策の限界も感じました。多くの会社は、相談窓口を作る。規程を作る。研修を実施する。しかしそれだけで十分でしょうか。
もし経営が数字ばかり見ていたら。もし管理職が疲弊していたら。もし沈黙することが評価される文化だったら。その職場は、少しずつ毒に変わっていくかもしれません。

ハラスメントをなくしたいなら、加害者探しより先に、組織のPSCを見なければならない。私はそんなことを考えながら、このセッションを聞いていました。

  研究論文で読んでいたPSCの考え方を提唱した本人が、目の前で登壇している。それだけで十分に刺激的な経験でした。
日本の研究者とも共同研究を行い、日本の職場環境を深く理解している研究者が、こうして海外の学会で発表している。その事実に、身が引き締まる思いがしました。 オーストラリアの学会では、他にも興味深い発表が数多くありました。

次回は、別のセッションで私が特に気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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