月別アーカイブ: 2025年7月

体育の授業は逃げられなかった。パワハラ上司からは、逃げてもいいですか? 「体育の授業が大嫌い」ヒャダインさんのエッセイに思う【前編】

  

学生の頃、体育の授業が好きでしたか?

「僕は体育の授業が大嫌いです。体育の教師も大嫌いです」
という、思いきった「体育大嫌い宣言」から始まる文章が、SNSで話題になりました。書いたのは、音楽クリエイターのヒャダインさんです。
「頼むからそっとしておいてください」
というタイトルがつけられたこのエッセイは、2019年3月に体育専門誌『体育科教育』(大修館書店)に掲載され、2024年にX(エックス)で紹介されたことで、再び注目されました。

『体育科教育』は、体育の教師向けの専門誌です。
体育の教師を職業に選ぶということは、読者の多くは小さい頃から運動が得意だったのでしょう。体育の授業では、足も速くて球技も鉄棒も難なくこなし、クラスメイトから賞賛を浴びていたはずです。
そんな体育教師たちに向けて、ヒャダインさんは

「なぜあなた達体育教師は、
僕達にクラスメイトの前で恥をかかせようとするのでしょう?」
と問いかけます。

「手本のように上手に出来なくて(中略)バタバタと手足を動かす僕をクラスメイトが笑う」
「自分が圧倒的に足を引っ張ったせいで、気まずい雰囲気になったバスケの授業は今でも思い出します」
と、ヒャダインさんは体育の授業を振り返ります。


同じような経験をした人もいるのではないでしょうか?
運動が苦手な人にとって、みんなの前で逆上がりを何度もやらされたり、横並びで走らされたりした経験は、つらい記憶として刻まれています。

みんなの前で恥をかかされることで、運動が苦手な子は、ますます運動が嫌いになってしまう。学校で週に何度も体育の授業が設けられていても、それでは本末転倒。ヒャダインさんは、「体育」と「スポーツ」は同義ではない、としたうえで、
「体育で惨めな目にあうことで、スポーツまで嫌いになります」
と書いています。

もちろん、体育以外の科目が苦手な子もいますが、ほかの科目では体育ほど
「みんなの前で恥をかかされる」
場面は少ないといえます。算数の授業で、算数が苦手な生徒を黒板の前に立たせて、みんなの前でわからない問題を何度も解かせるなんてことは、まずあり得ませんよね。

上から目線の指導に「NO!」

このエッセイがXで紹介されると、多くの共感の声が寄せられました。
ヒャダインさんのエッセイがここまで注目された理由のひとつは、運動が苦手で、体育の授業で同じような経験をした人が大勢いるから。もうひとつは、このような声を上げる人が、これまであまりいなかったからかもしれません。

学校を卒業すれば、ほとんどの人は体育の授業からも解放されます。大人になれば、逆上がりができなくても、跳び箱が跳べなくても、人前で恥をかくことはありません。

「学校の体育の授業、いやだったな」
という思い出はそっと胸にしまわれて、普段は思い出すこともなくなります。

しかし、一方で職場には、跳び箱という名の「ノルマ」や「利益のプレッシャー」から逃れられない状況が厳然としてあります。
職場では「今日休みます!」と職場の隅っこで「見学」は出来ないのですから。

ヒャダインさんのエッセイが掲載された号のテーマは、
「運動が苦手な子どもが輝く授業をつくろう!」
というものです。ヒャダインさんはこのテーマに触れ、
「『運動が得意な子は輝いている』と思ってるってことですよね? 上から目線の差別意識丸出しじゃないですか」
と書いています。

そう、これは「体育の授業」だけの問題ではありません。体育の授業で教師が
「よかれと思って」
生徒に押しつけていた価値観に、ヒャダインさんと彼のエッセイに賛同する多くの人が
「NO」
を突きつけたのです。

「今日の仕事は、楽しみですか?」

この「よかれと思って」を想起させる、非常に印象的な出来事が、
4年前の2021年、ある駅の大型ビジョンに現れた広告メッセージです。

一見ポジティブにも思えるその問いかけは、瞬く間に物議を醸しました。
「仕事を楽しめない人を責めているようだ」「これはディストピア」「仕事は楽しめなければいけないのか?」そんな声がSNS上にあふれ、大炎上。

よかれと思った「善意」のこの言葉は“楽しい”という価値観を押しつけるものと受け取られ、結果として、その広告はわずか1日で取り下げられることとなりました。「仕事は楽しいと思う人からの上から目線?」の差別意識と感じた人がいたのかもしれません。

この出来事は、どこかで見たような光景にも思えます。
教師が「よかれと思って」生徒に押しつけていた価値観「みんなでやるのが楽しいはず」「頑張ればできるはず」「苦手でも全力で取り組むべき」
そんな“正しさ”が、知らず知らずのうちに誰かを置き去りにしていた。

あの広告に感じた違和感は、ヒャダインさんの投稿とどこか重なるのです。

見直される「指導」「教育」のありかた

「できないヤツは、人前で恥をかかされても当然だ」
「悔しかったら、できるようになるまで努力するべき」
このような価値観が、いまだにまかり通っている組織はまだまだあるのではないでしょうか。
ミスをした部下をみんなの前で叱責する上司や、後輩に「やる気を出せ!」などと根性論をふりかざす上司・先輩は、令和の今でもいますよね。

もちろん、体育会系の人のやり方や考え方が、すべて間違っているとはいいません。スポーツに打ち込んできた人が持つ行動力や協調性は、社会で求められる資質といえるでしょう。

しかし、行き過ぎた「しごき」や「根性論」は、むしろ部下や後輩のモチベーションを下げてしまい、逆効果になります。学校の体育の授業と同じように、会社でも「指導」や「教育」という名のもとに、部下が壊れるような指導がゼロではありません。
それらを裏付けるように、パワハラの相談件数が右肩上がりであり、パワハラによる精神疾患に起因する労災認定が増加傾向にあります。

一方で、その指導のありかたが、今、本気で見直されているのです。

ヒャダインさんのエッセイは、改めて、パワハラを意識している、私たち働く大人たちにも、そのことに気づかせてくれたのではないかと私は思います。

※引用はすべて『体育教育』2019年3月号より

ハラスメント研修企画会議 主宰

株式会社インプレッション・ラーニング  代表取締役、産業カウンセラー。大学卒業後、アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修企画営業部門のマネージャーとして一部上場企業を中心にコンプライアンス、ハラスメント研修等を企画。2009年株式会社インプレッション・ラーニングを設立。起業後、企業研修プランナーとして「ハラスメントの悩みから解放されたい」「自分の指導に自信を持ちたい」「部下との関係性をよくしたい」……といったハラスメントにおびえながら部下指導に悩む管理職に年間200件のセクハラ、パワハラ研修を企画し、研修を提供。会社員時代の研修コンテンツでは決して企画することが出来なかった 「グレーゾーン問題」に特化したハラスメント研修を日本で一早く企画し実施。 起業後10年間で約2,000件、約30万人以上に研修を企画してきた。