前回は、オーストラリアの研究者Maureen Kyne氏による「上向きのいじめ(Upward Bullying)」を紹介しました。優秀なリーダーが、表面上は正当な苦情や手続きの陰で少しずつ権威を失い、やがて組織を去っていく。そんな現象が日本企業でも起きていることを書きました。
今回書くのは、その「なぜ」です。なぜ職場でハラスメントは起きるのか。なぜ問題のある職場では、同じ問題が繰り返されるのか。その答えを示してくれたのが、アデレード大学のMay Young Loh博士の研究でした。
ハラスメントは伝染する
私たちはハラスメントを個人の問題として考えがちです。加害者がいて、被害者がいる。だから加害者を指導すれば解決する。しかしLoh博士の発表は、この前提そのものに疑問を投げかけます。彼女が示したのは、「職場のいじめは社会的伝染病である」という考え方でした。
いじめは加害者と被害者の間で完結しません。傍観者が同調し、管理職が黙認し、経営陣が見て見ぬふりをする。それぞれが影響し合いながら、組織全体へ広がっていく。まるで感染症のように。
職場が毒に変わる瞬間
興味深かったのは、いじめが広がる職場に共通点があることです。それは、誰も止めないということです。
上司が見て見ぬふりをする。人事が動かない。周囲が沈黙する。すると何が起きるか。最初は異常だった行動が、やがて普通になります。陰口が当たり前になる。排除が当たり前になる。情報共有をしないことが当たり前になる。そして、「この会社ではそういうものだ」という空気が生まれる。
私はこれを、職場が毒に変わる瞬間だと思いました。
ストレスは下へ流れる
発表の中で特に印象に残ったのが、「置き換えられた攻撃性(Displaced Aggression)」という考え方です。役員から厳しく責められた部長がいる。部長は役員には反撃できない。だから課長に当たる。課長はさらに担当者に当たる。担当者は新人に当たる。こうしてストレスが階層を下へ下へと流れていく。
日本企業でもよく見る話です。しかし本当に問題なのは、その連鎖を誰も止めないことです。
PSCという考え方
ここで登場するのが、PSC(Psychosocial Safety Climate)、心理社会的安全気候です。簡単に言うと、この会社は利益よりも人を大切にしているか、 という組織の空気です。経営陣は本気で従業員の健康を守ろうとしているか。心理的健康は利益と同じくらい優先されているか。安心して声を上げられる仕組みがあるか。従業員が改善活動に参加できているか。この4つで構成されます。
重要なのは、PSCは心理的安全性とは違うということです。心理的安全性はチームの話です。PSCは経営の話です。現場がどれだけ頑張っても、経営がエンゲージメントの数字やハラスメントアンケートのパーセントしか見ていなければ、PSCは高くなりません。
私が最も共感したこと
今回の発表で最も印象に残ったのは、PSCは「原因の原因(Cause of Causes)」であるという考え方です。ハラスメントが起きた。離職が増えた。メンタル不調が増えた。不祥事が起きた。普通はそこで原因を探します。しかしPSC研究は、そのさらに前を見る。なぜそんな職場になったのか。なぜ誰も止めなかったのか。なぜ沈黙が続いたのか。そこに注目します。
私は以前から、ハラスメントは症状であって病気ではないと言ってきました。今回のPSC研究は、その考え方を科学的に裏付けるものだと感じました。
日本企業への問い
私は今回の発表を聞きながら、日本企業のハラスメント対策の限界も感じました。多くの会社は、相談窓口を作る。規程を作る。研修を実施する。しかしそれだけで十分でしょうか。
もし経営が数字ばかり見ていたら。もし管理職が疲弊していたら。もし沈黙することが評価される文化だったら。その職場は、少しずつ毒に変わっていくかもしれません。
ハラスメントをなくしたいなら、加害者探しより先に、組織のPSCを見なければならない。私はそんなことを考えながら、このセッションを聞いていました。
研究論文で読んでいたPSCの考え方を提唱した本人が、目の前で登壇している。それだけで十分に刺激的な経験でした。
日本の研究者とも共同研究を行い、日本の職場環境を深く理解している研究者が、こうして海外の学会で発表している。その事実に、身が引き締まる思いがしました。 オーストラリアの学会では、他にも興味深い発表が数多くありました。
次回は、別のセッションで私が特に気になった内容を紹介したいと思います。
この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー
「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。
アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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