あなたの職場で、こんな場面に出くわしたことはないでしょうか。
ある上司が、特定の部下にだけ厳しい口調で叱責する。
声のトーンも言葉選びも、明らかに行き過ぎている。
職場の空気が一気に重くなり、周囲は静まり返る。
にもかかわらず、誰も何も言わない。
後になって、周囲の人はこう語ります。
「明らかに問題のある言動だった」
「気づいていた人は、何人もいたはずだ」
それでも、その場では何も言えなかった。
なぜ、分かっていながら声掛けができないのか。
巻き込まれたくないという思いもあって、
ハラスメントが繰り返される職場には、
このような沈黙の場が見受けられます。
人はなぜ、見ているのに動かないのか
多くの人は、こう考えます。
自分が出なくても、誰かが言うだろう。
下手に関わると、面倒なことになるかもしれない。
こうした気持ちが重なり合うと、
全員が見ているのに、誰も止めないという状況が生まれます。
心理学では、この現象を傍観者効果と呼びます。
ここだけは聞いてほしいのですが、
これは個人の性格や勇気の問題ではないという点です。
人が黙っているのは、冷たいからでも、無関心だからでもありません。
その場で、どう振る舞うのが正解なのかを、
職場では誰も知らないし、学んだこともないのです。
それでも、声を上げる人が現れる理由
一方で、同じ職場でも、
「それはおかしいですよ」と言える人が現れることがあります。
その人は、特別に正義感が強いのでしょうか。
生まれつき、勇気のある人なのでしょうか。
近年の心理学研究は、少し違う答えを示しています。
鍵になるのは、意外にも「ありがとう」でした。
感謝を「見るだけ」で、人の行動は変わる
2020年に発表された心理学の研究では、
感謝に「目撃効果」があることが示されました。
誰かが誰かに感謝している場面を、
第三者が見ているだけで、
その第三者の行動が変わるという現象です。
しかも、その変化の方向は、
見て見ぬふりを生む傍観者効果とは真逆でした。
8つの実験が示した、一貫した結果
この研究では、8つの実験が行われています。
感謝のやりとりを目撃した第三者は、
感謝を表した人を信頼できそうだと評価し、
この人と一緒に仕事をしたいと感じ、
実際に、より協力的な行動を取りやすくなりました。
ここで非常に重要なのは、
評価が高まったのが、
感謝された人ではなく、感謝を表した人だった点です。
感謝は、
「私はあなたを大切にします」
「私たちはこの関係を雑に扱いません」
という強いメッセージになります。
それを見た第三者は、無意識に、
「この人がいる場なら、安全に仲間と関われそうだ」
と判断するというのです。
感謝が可視化されている職場では、
人と関わることそのものが正解になる場が形成されます。
ハラスメントが生まれる環境は、「場」が育てる!?
一方で、傍観者効果が支配する場では、
問題が起きても動かないこと、関わらないことが正解になってしまいます。
同じ第三者でも、先ほどとはまるで反対です。
人は、勇気がないからというだけの理由で、黙っているわけではありません。
その場で、どう振る舞うのが正解なのかが、
その状況において分からないだけなのです。
ハラスメントが繰り返される職場は、
傍観者効果が固定化されているように思います。
多くの人が気づいているのに、
誰も何も言わない。
その沈黙が、
「やっても許される」という誤ったメッセージになり、
ハラスメントをエスカレートさせてしまうことになりかねません。
反対に、
感謝や敬意が日常的に交わされている職場では、
きつい叱責や威圧的な態度は、自然と浮いた存在になります。
そのような雑な関わり方は、この職場に合っていない。
そう感じさせる「場の力」そのものが、
ハラスメントの抑止力になると私は思います。
モノが言える空気をつくる有効なツールが「ありがとう」
私たちは、「ありがとう」と伝え合うことをマナーとして教わってきました。
お互いに感謝を伝えるために、
サンクスカードや社内の仮想通貨的なポイントとして、
相互に送り合う仕組みを取り入れている企業も増えています。
しかし、この研究結果を踏まえると、
感謝はそれ以上の意味を持っています。
感謝は、
個人の美徳だけではなく、
組織の「場」を設計するツール
と言ってもいいでしょう。
いざというときに人が動かなくなるのは、
その人が冷たいからでは決してありません。
「気になったら、動いていい」
「気が付いたら、関わっていい」
そう感じられる場がないからです。
ルールや罰則だけでは、
ハラスメントを防止することはできません。
大切なのは、
この職場では、
どんな関わり方が正解なのかを、
モノが言える空気として示すことです。
その場を設計するためのピースの一つが、
「ありがとう」という一言なのです。
おわりに
さまざまな角度から「感謝」に秘められたパワフルさと奥深さをご紹介し、
考察してきたシリーズ記事は、本記事が最終回です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本シリーズを通してお伝えしたかったのは、
感謝は単なるマナーや気分の問題ではなく、
人の行動や、組織の場そのものを静かに書き換える力を持つ、
という事実です。
次回は、また別の切り口から、
ハラスメントについて考えていきたいと思います。
参考文献
本稿で引用した研究論文
Algoe, S. B., Dwyer, P. C., Younge, A., & Oveis, C. (2020).
A new perspective on the social functions of emotions: Gratitude and the witnessing effect.
Journal of Personality and Social Psychology, 119(1), 40–74.
参考図書
『THANKFULNESS 感謝脳』
樺沢紫苑・田代政貴 著/飛鳥新社
※本稿は、上記の海外学術論文を一次資料として参照し、
その知見をもとに筆者の視点で再構成したものです。
感謝の効果や日常での実践方法については、
一般向けの解説として上記書籍も参考になります。
このテーマに興味のある方は、こちらの記事もおすすめです。
あわせて読みたい
・ 不正は、ルールでは止まらない。 「ありがとう」が人の判断を変える理由 -組織の不正を防ぐのは、ルールより「ありがとう」だった
・ 「企業風土」が新語・流行語に選ばれた今ハラスメントを生まない組織の“空気づくりとは?東京ステーションホテルに学ぶ、企業風土のつくり方
・ 「褒める」ことを条例にした町に学ぶハラスメントをなくすヒント
この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
ハラスメント研修プランナー/講師/産業カウンセラー
企業の管理職が「ハラスメントを恐れて部下指導ができない」という悩みを解決する研修を専門とする。
アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。
2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。
企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。
年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。
#パワハラ
#ハラスメント
#管理職