月別アーカイブ: 2026年6月

絵本で学ぶ職場のハラスメント ―寓話『ネズミと象』に学ぶ、上司の「常識」、部下の「不条理」―

悪気なく足元を踏み潰す「職場の老いた象」

『ネズミと象』という寓話がある。

巨大な象の群れが、森を移動していた。悪気はない。ただ、いつも通りに歩いていただけだ。
しかしその巨体ゆえ、足元の小さなネズミたちの住処を、何度も踏み潰してしまう。

困り果てたネズミの王様は、象の王様に頼み込んだ。
「歩くルートを、少しだけ変えてもらえないだろうか。そうしてくれたら、いつか私たちもあなた方を助けよう」

象たちは笑った。「こんな小さな生き物に何ができる」と。
それでも願いを聞き入れ、ルートを変えてやった。

その後、象の群れは猟師の罠にかかる。頑丈なロープに絡まり、身動きが取れない。絶体絶命の象たちの前に現れたのは、あのネズミたちだった。
総出で、鋭い歯でロープを一本ずつ噛みちぎり、象の群れを救い出した。

この話、職場の「世代間ギャップ」そのものだと思う。
長年実績を積み上げてきたベテラン社員は、組織を支える頼もしい「象」だ。しかし過去の成功体験という巨体のまま、無造作に歩き回ってはいないだろうか。「俺たちの若い頃はこれが当たり前だった」という足取りで、若手の足元を、何度も踏み潰してはいないだろうか。

「最近の若手は打たれ弱い」と嘆く前に、一度、自分の足元を見る。象としての自分の足元を。

「良かれと思って」が、一番厄介

この寓話で大事なのは、象はネズミを憎んで踏み潰していたわけではない、という点だ。
いじめる気はない。ただ、いつも通り歩いていただけ。

これが、ベテラン社員による自覚なき言動の、最も根深いところだと思う。

「俺の若い頃は、徹夜してでも這い上がったものだ」

「これくらいの理不尽を乗り越えないと、一人前になれない」

「言われたこと以上に、なぜプラスアルファをやらないのか」

こう言うベテランに、悪意はない。むしろ「良かれと思って」「自分の成功ルートを教えてやろう」という親切心の方が大きいケースがほとんどだ。

筆者も正直、似たようなセリフが喉まで出かかったことが、一度や二度ではない。出かかった、というのが大事なところで、出していたら今この原稿は書けていない。

だが、ここに致命的な認知のギャップがある。
時代も、労働環境も、ハラスメントへの意識も、激変した。その中で過去の重たい価値観をそのままぶつけるのは、象が、ネズミの頭上から巨体を落とすのと同じことだ。
ベテランにとっては「常識」という軽い一歩。
若手にとっては、尊厳もキャリアも踏みつぶされる「不条理」。
ハラスメントは、悪意から生まれるんじゃない。自分の持つパワー 
-その重さへの無自覚から、生まれる。

若手の「沈黙」と「静かな脱出」が、ベテランを破滅させる

象が「自分の常識」という足踏みを繰り返していると、組織には静かに、しかし確実に、リスクが積もっていく。
それが、若手たちの「心のシャッター」が下りる瞬間だ。
今の若手は、理不尽に大声で反論したりしない。生き残るために、自分を守るために、選ぶのは「徹底的な沈黙」か「早期離職という、静かな脱出」だ。
「この人に何を言っても、昔の常識を押し付けられて終わる」

「この理不尽に付き合っていたら、自分の市場価値が下がる」
そう判断したネズミたちは、象の周りから、静かに姿を消していく。
足元から若手が消え、残るのは自分と同じ価値観を持つ古い象だけ。象同士、昔話で盛り上がって、それなりに楽しそうにも見える。
だが実際は、時代の変化という「罠」に対応できない、極めて脆い組織の始まりだ。
若手が沈黙した職場には、新しいアイデアも、現場のリアルな課題も、もう象の耳には届かない。
そしてある日、組織が大きなトラブルや環境変化という「罠」にかかったとき――ベテランの怪力(過去の経験)だけでは、もう抜け出せない。誰も助けに来ない。
強者が弱者を軽視したツケは、最後に「強者自身の孤立」という形で返ってくる。

老いた象が「若手」と共存するための3つの視点

長年の経験を「若手を潰す凶器」にしないために。
ベテランが持つべき視点は、3つ。

① 自分の体重を、自覚する
社歴が長くなるほど、何気ない一言、不機嫌なため息ひとつの「質量」は、自分が思っているより数倍重い。
「今の自分は、ただ歩くだけで周囲を緊張させる象だ」――その自覚が、無自覚なパワハラを防ぐ第一歩になる。

②昔のルートは、もう地雷原かもしれない
何度も通ってきた「常識という名のルート」。それは、コンプライアンスも労働法も変わった今、一発アウトの地雷原かもしれない。
「俺の時代はこうだった」――その言葉が出そうになったら、一度止まる。「今の時代でも、これは通るか?」と、頭の中で検閲する。その癖をつける。

③ネズミの「新しい知恵」に、敬意を払う
寓話の結末で象を救ったのは、ネズミの「小さな鋭い歯」だった。
今の職場で言えば、若手のデジタルスキルや、タイパを重視する合理的な視点。そういうものだ。
「最近の若者は」と切り捨てるのではなく、自分にはない強みを持つ存在として、敬意を払う。それが、本当の信頼関係をつくる。

足元の声を聴くリーダーだけが、変化の森を生き抜ける

過去の実績や経験は、誇るべき財産だ。
でも、それに固執して足元を見ない象は、いつか時代の罠にかかったとき、孤独に倒れる。
これまで培ってきた大きな力は、若手を押しつぶすためじゃない。彼らが安心して動けるよう、背後のプレッシャーから守る「盾」として使うものだ。
上司の「常識」を、一方的に押し付けるのをやめる。
小さなネズミの声を聴き、その存在に敬意を払う。

それが、ベテラン社員が「老害」と呼ばれるリスクを避け、
変化の激しい新時代をチームで生き抜くための、一番賢いサバイバル戦略
なのかもしれない。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#絵本で学ぶ職場のハラスメント
#ネズミと象
#世代間ギャップ
#ハラスメント


「見て見ぬふりという名のもう一つのハラスメント ― 正しいと思いながら、黙り続けた人たち ―

先日、ある企業様とハラスメント研修の企画を進めていたときのことです。

担当者の方とは何度も打ち合わせを重ねました。
表面的な法令知識ではなく、

なぜハラスメントが起きるのか。
なぜ職場で誰も声を上げなくなるのか。
なぜ優秀な人ほど沈黙してしまうのか。

そんな組織の本質に踏み込んだ内容でした。

打ち合わせのたびに担当者は熱心に耳を傾け、

「これは必要ですね」
「今の組織に足りない視点だと思います」
と何度も話していました。

私も手応えを感じていました。

ところが実施直前になって突然連絡が入ります。

「申し訳ありません。内容を大きく変更していただけないでしょうか」

詳しい理由は聞きませんでした。
聞かなくても、おおよその見当はついたからです。
おそらく上層部から何らかの指摘が入ったのでしょう。

私は早速、依頼には応えます。

本質をえぐる内容を削り、
誰も不快にならず、
誰も反発せず、
誰も責任を感じなくて済む、
そんな無難な内容へと作り替えました。

研修そのものは無事に終わりました。

しかし、本当に印象に残ったのはその後です。

昼食の席で担当者がポツリとこう言いました。

「実は僕も、最初の案の方が良かったと思っているんですよ」

私はため息が出ました。
ああ、またこの光景か。
という感情です。

なぜなら、こういう場面を私は何度も見てきたからです。

「本当は分かっている」

 彼は何が問題なのか分かっていました。
何が組織のためになるのかも分かっていました。
何が本質的な課題なのかも理解していました。

だからこそ最初の企画に共感していたのです。

それなのに最後は変わった。

なぜでしょうか。

答えはそれほど難しくありません。
正しいことを通しても、自分の評価には直結しないからです。

しかし上司に逆らえば評価が下がるかもしれない。
面倒な人間だと思われるかもしれない。
出世コースから外れるかもしれない。

だったら黙って従った方が安全です。
だったら波風を立てない方が楽です。

だから従う。
だから飲み込む。
だから見送る。

そして終わった後になって、
「本当は私もそう思っていたんです」
と言う。

私はこの言葉を聞くたびに複雑な気持ちになります。

だったら、なぜその時に言わなかったのか。
だったら、なぜ現場のために声を上げなかったのか。
もちろん私も分かっています。

生活があるからです。
家族がいるからです。
住宅ローンがあるからです。
評価があるからです。

だから責める気にはなれません。
しかし同時に思うのです。
それは本当に仕方のないことなのでしょうか。

「保身は、やがて傍観になる」

 多くの人は勘違いしています。
ハラスメントの問題は加害者だけの問題だと思っています。

怒鳴る上司。
威圧的な管理職。
人格に問題のある人。

確かにそういう人がいます。

しかし現場で本当に多いのは別の人たちです。

見ている人です。
気づいている人です。
おかしいと思っている人です。
でも何もしない人です。

つまり傍観者です。

そして傍観者の多くは悪人ではありません。
むしろ真面目で責任感のある人たちです。
だから厄介なのです。

悪意があるわけではない。
傷つけたいわけでもない。

ただ、自分を守りたいだけなのです。しかしその沈黙が、誰かを追い詰める。

『本当は反対だったんです』という便利な言葉

 私が一番怖いと思うのはここです。
何もしなかった人ほど、後になってこう言います。

「本当は私も反対だったんです」
「私も被害者のようなものなんです」
「上が決めたことなので」

確かにそうでしょう。
被害者の側面もあると思います。

しかし、その言葉は同時に責任から距離を取るための便利な言葉でもあります。
組織の決定には従う。

でも責任は負いたくない。
上司には逆らわない。
でも自分が賛成したと思われるのも嫌だ。

だから、
「本当は違ったんです」
と言う。

そうやって自分の良心だけは守ろうとする。

私はあの担当者の言葉を聞いたとき、そこに人間の弱さを感じました。
彼は被害者だったのかもしれません。

しかし同時に傍観者でもあった。
そして、おそらく私たちの多くもそうです。

「本当に恐ろしいのは組織の空気」

 こういう人が一人なら問題ありません。

しかし会社の中に十人、二十人、百人と増えていくと何が起きるでしょうか。

誰も本音を言わなくなります。
誰も異論を唱えなくなります。
誰も責任を負わなくなります。

その代わりに増えるのは言い訳です。

「仕方がない」
「上が決めたことだから」
「会社だから」
「現実はそんなものだから」

こうして組織は少しずつ思考停止していきます。

そして不祥事が起きる。
ハラスメントが起きる。
誰かが壊れる。

そのとき初めて全員が言うのです。

「まさか、こんなことになるとは思わなかった」

本当にそうでしょうか。

気づいていた人はいたはずです。
違和感を持っていた人もいたはずです。

ただ、誰も動かなかっただけです。

「あなたはどうですか」

 この話を読んで、
「ひどい担当者だな」
と思った方もいるでしょう。

しかし私はそうは思いません。
なぜなら、あの担当者は特別な人ではないからです。

どこの会社にもいるのかもしれません。
そして、もしかすると私たち自身もそうかもしれません。

本当は違うと思っている。
本当はおかしいと思っている。
本当は声を上げるべきだと思っている。

それでも黙る。

波風を立てたくないから。
嫌われたくないから。
損をしたくないから。
評価を下げたくないから。

それが人間です。

だからこそ問われるのです。

組織の空気に流される傍観者であり続けるのか。

それとも

違和感に向き合うのか。

その選択です。

ハラスメントは突然発生するものではありません。
誰かの暴言から始まるものでもありません。

もっと前から始まっています。

違和感を覚えながら口を閉ざした瞬間。
見て見ぬふりを選んだ瞬間。
「仕方がない」で済ませた瞬間。

その小さな沈黙の積み重ねが、やがて組織を蝕んでいくのです。

知識を学んだ後、あなたは何をするのか。

問われているのは、
「ハラスメントの知識」ではなく、明日からのあなたの「生き方」です。

あわせて読みたい

・ 「牛乳買ってきて」「資料作っといて」で 伝わると思ってる人たち 。 家庭の「もやもや」は、職場で「も」起きている

・ その断り方、優しさになっていますか ― 「断れないと悩む社員に教えたい 京都流「NO」の伝え方」

・ 「あの上司、キモイ、ウザイ、ヤバくない!?」を卒業しよう。 あなたの気持ちを上手にコトバで伝える方法

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。

#管理職
#傍観者
#見て見ぬふり
#ハラスメント