不正は、ルールでは止まらない。 「ありがとう」が人の判断を変える理由 -組織の不正を防ぐのは、ルールより「ありがとう」だった

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「これくらいならバレないだろう」
「忙しいし、面倒な作業を省いてもいいか」
「評価に関わるから、少しくらい盛っても…」

こうした”小さな不正”が積み重なると、組織の信頼は簡単に失われます。

どうやって人の誠実さを支え、倫理観を育てられるのか。これは長年のテーマであり、経営者にとって、「どうすれば不正を防げるのか」「どうすればエンゲージメントが高まるのか」大きな経営課題のひとつです。

多くの企業が選ぶ対策は、こうです。
・ルールを厳しくする
・監視を強める
・罰則を明確にする

どれも、不正を防ぐために必要な対策です。ただ、それだけでは人の行動が変わらないのもまた現実です。

感謝の気持ちは、不正行為を減らす

そんなとき、ある心理学の論文に出合いました。

アメリカ・ノースイースタン大学のDavid DeStenoらのチームが発表した論文「The Grateful Don’t Cheat: Gratitude as a Fount of Virtue」。

論文のタイトルを直訳すると、「感謝する人はズルをしない」。

その名の通り、驚くほどシンプルで、しかし深い示唆を持っています。

これまでは、感謝というと、助けてもらったらお返しをする、人間関係が円滑になる、といった「返礼行動」の文脈で語られることが多かったと思います。

ところがこの研究では、感謝にはもう一つ重要な働きがあると示されています。

それが、誘惑に負けにくくなる(自己コントロールが高まる) という点です。

不正というのは、多くの場合「悪意」も当然ですが、本当は間違っていると分かっているのに、誘惑に負けてつい手を出したり、自己の利益に流されることから起こることも多いものです。

「これくらい、バレないだろう」

「今回だけならいいか」

「自分だけが損をしている気がする」

そう思ったとき、不正を踏みとどまれるかどうか。その自己コントロール力に、感謝の感情が関わっているのです。
もう少し具体的に見ていきましょう。

実験から見えた、はっきりとした差

研究では、大学生を対象に「ズルをしようと思えばできる状況」を意図的につくりました。

「10分で終わる楽な課題」と、「45分かかる難しい課題」を用意して、どちらをやるかは仮想のコイン投げ装置で「ランダムに決まる」と説明しました。

実は、この装置は必ず45分の課題が出るように細工されています。つまり、短い課題を選んだ人は「ズルをした」ということがわかるのです。

結果は、驚くほど明確でした。

感謝の感情を喚起された人たちの不正率は2% と、ほとんどの人が不正をしなかったのです。

一方で、幸福の気持ちを喚起された人たちの不正率は16%。中立のグループの不正率は、17% でした。

「感謝」も「幸福」もポジティブな感情ですが、幸福感では不正は減りませんでした。これは、私にとって非常に興味深いポイントでした。

匿名の環境でも、感謝は効いていた

さらに研究チームは、オンライン上の匿名環境でも同様の実験を行っています。

顔も名前も分からない、誰にも見られていない状況でも、「感謝」を感じていた人たちは、不正をしにくいことがわかりました。

不正をしないのは、監視されているからではなかったのです。

また、どちらの実験でも、感謝の度合いが高い人ほど、正直に振る舞う確率が高くなることもわかりました。

なぜ感謝が、不正を遠ざけるのか

研究者たちは、感謝が「道徳規範を思い出させる」というトップダウン型の制御ではなく、「価値判断そのものを変える」ボトムアップ型の働きをしている、と説明しています。

感謝を感じている人は、「自分には居場所がある」「自分は支えられている」という意識を持ちます。

すると、「ズルをして得をする」という短絡的なメリットが魅力的に見えなくなり、長期的で倫理的な選択をしやすくなるのです。
これは、ルールで縛るのとはまったく違うアプローチといえますね。

不正が起きやすい組織の空気とは

研究からわかることは、「感謝が根づいた組織では、倫理が自然と底上げされる」 ということです。
不正が起きやすい組織には、共通する空気があります。

・余裕がない
・孤独感がある
・不信感がある
・自己肯定感が低い

こうした状態では、人はどうしても「ズルをして得をしよう」という短期的な判断に流されてしまいがちです。

一方で、お互いに感謝する文化がある組織では次のようなことが起こります。

・人間関係が安定する
・自己コントロールが保たれる
・正直であることのコストが下がる

このような状況で、人は長期的で倫理的な判断をすることができるようになるのです。

つまり、「感謝」→「自己コントロール向上」→「不正が心理的に魅力を失う」 という流れが起きているのです。

これは、罰則や注意喚起のような”外からの監視”ではなく、「本人の内側で価値判断が変わっている」 という点で、ビジネス現場でも非常に重要な意味を持ちます。

つまり、感謝は、”価値判断そのもの”を変える。
・不正のメリットが小さく見える
・正直に振る舞うことが自然に感じられる
・短期的利益より長期的な関係維持の価値が際立つ

という”内的な変化”が起こるのです。
これは、罰則や監視のような「コントロール型アプローチ」とは根本的に異なります。

罰則:「やったらダメだ」
監視:「見られている」
感謝:「ズルする必要がない」

この違いは非常に大きい。

管理や統制ではなく、個人の内部にある”倫理のエンジン”を回す感情。それがどうやら、感謝なんです。

「感謝しよう」のスローガンでは効果は薄い

では、感謝の文化はどのようにつくればいいのでしょうか。

感謝は、制度やスローガンで強制すると、たいてい形骸化します。

「感謝カードを書きなさい」
「『ありがとう』の言葉を言いましょう」

これだけで、感謝の文化が自然に育つとは思えません。

制度やスローガンをつくることよりも大事なのは、一人ひとり(特に管理職の人)が言葉と行動で示すこと だと私は思います。

・上司自身が感謝を(想って)口にする
・上司が部下に具体的な感謝を伝える「習慣」をつくる
・結果だけでなく、過程や姿勢を評価する
・相談や失敗が許される空気をつくる(あえて、心理的安全とか言わない(笑))

ただし、注意点があります。
感謝は”させる”ものではなく、”育つ”もの。

・感謝カードのノルマ化している会社
・感謝表彰の乱発
・感謝を強制する文化

これらは感謝が「業務」となり、全くの逆効果になることは言うまでもありません。

ポイントは、「自然に感謝を感じやすい組織構造」を設計すること。

しかしながら、言うは易く、行うは難し。
時間はかかるかもしれませんが、このような「静かな行動変容」が、お互いに感謝し合う文化をつくっていくのです。

感謝は、最もコストの低い「不正予防策」

組織の不正を防ぐには、もちろんコンプライアンス教育や監査は欠かせません。ただ、それにはコストも手間もかかります。

一方、感謝することは、ほとんどコストがかかりません。それでいて、人の価値判断そのものに作用します。

不正を防ぐだけでなく、組織への帰属意識を高め、離職率を下げる効果があることもわかっています。

組織に感謝の風土をつくることが、これからの倫理施策のスタンダードになっていくと私は思います。

そのためにできることは、まずは、小さなことにも「ありがとう」と感謝することです。

そのときに、ここだけは押さえて欲しいのですが、”ありがとう”ではなく”何にありがとうなのか”を必ず添えることです。

このことで、この「具体性がプラスの感情を生み出す」ことを知っておいてください。

感謝こそが、強い組織をつくる。

感謝は、人を誠実にします。誠実な人は、誘惑に負けにくいため、結果的に不正行為は確実に減少傾向に。

ポジティブな感情の中でも、幸福と感謝はまったく違う働きをします。

幸福:気分が良くなる
感謝:価値判断が変わる(行動が変わる)

この違いを理解したうえで、私たちは組織に「感謝が生まれる仕組み」を浸透させる必要があるのかもしれません。

それは、単なる優しさや道徳ではありません。

組織の信頼性を守り、コンプライアンス意識を高め、長期的に健全な文化をつくるための”科学的な方法”です。

あなたの会社では、今日、誰に感謝を伝えられますか?
その一言が、組織のコンプライアンス意識を高める最初の一歩になるかもしれません。

参考文献(Research)
DeSteno, D., et al. (2014). The Grateful Don’t Cheat: Gratitude as a Fount of Virtue. Psychological Science.
参考図書(Further Reading)

『THANKFULNESS 感謝脳』(樺沢紫苑・田代政貴 著/飛鳥新社)
※本稿は、上記の海外学術論文を一次資料として参照し、その知見をもとに筆者の視点で再構成したものである。
なお、「感謝」の効果や日常での実践方法については、一般向けの解説として上記書籍も参考になる。