絵本で学ぶ職場のハラスメント ―寓話『ネズミと象』に学ぶ、上司の「常識」、部下の「不条理」―

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悪気なく足元を踏み潰す「職場の老いた象」

『ネズミと象』という寓話がある。

巨大な象の群れが、森を移動していた。悪気はない。ただ、いつも通りに歩いていただけだ。
しかしその巨体ゆえ、足元の小さなネズミたちの住処を、何度も踏み潰してしまう。

困り果てたネズミの王様は、象の王様に頼み込んだ。
「歩くルートを、少しだけ変えてもらえないだろうか。そうしてくれたら、いつか私たちもあなた方を助けよう」

象たちは笑った。「こんな小さな生き物に何ができる」と。
それでも願いを聞き入れ、ルートを変えてやった。

その後、象の群れは猟師の罠にかかる。頑丈なロープに絡まり、身動きが取れない。絶体絶命の象たちの前に現れたのは、あのネズミたちだった。
総出で、鋭い歯でロープを一本ずつ噛みちぎり、象の群れを救い出した。

この話、職場の「世代間ギャップ」そのものだと思う。
長年実績を積み上げてきたベテラン社員は、組織を支える頼もしい「象」だ。しかし過去の成功体験という巨体のまま、無造作に歩き回ってはいないだろうか。「俺たちの若い頃はこれが当たり前だった」という足取りで、若手の足元を、何度も踏み潰してはいないだろうか。

「最近の若手は打たれ弱い」と嘆く前に、一度、自分の足元を見る。象としての自分の足元を。

「良かれと思って」が、一番厄介

この寓話で大事なのは、象はネズミを憎んで踏み潰していたわけではない、という点だ。
いじめる気はない。ただ、いつも通り歩いていただけ。

これが、ベテラン社員による自覚なき言動の、最も根深いところだと思う。

「俺の若い頃は、徹夜してでも這い上がったものだ」

「これくらいの理不尽を乗り越えないと、一人前になれない」

「言われたこと以上に、なぜプラスアルファをやらないのか」

こう言うベテランに、悪意はない。むしろ「良かれと思って」「自分の成功ルートを教えてやろう」という親切心の方が大きいケースがほとんどだ。

筆者も正直、似たようなセリフが喉まで出かかったことが、一度や二度ではない。出かかった、というのが大事なところで、出していたら今この原稿は書けていない。

だが、ここに致命的な認知のギャップがある。
時代も、労働環境も、ハラスメントへの意識も、激変した。その中で過去の重たい価値観をそのままぶつけるのは、象が、ネズミの頭上から巨体を落とすのと同じことだ。
ベテランにとっては「常識」という軽い一歩。
若手にとっては、尊厳もキャリアも踏みつぶされる「不条理」。
ハラスメントは、悪意から生まれるんじゃない。自分の持つパワー 
-その重さへの無自覚から、生まれる。

若手の「沈黙」と「静かな脱出」が、ベテランを破滅させる

象が「自分の常識」という足踏みを繰り返していると、組織には静かに、しかし確実に、リスクが積もっていく。
それが、若手たちの「心のシャッター」が下りる瞬間だ。
今の若手は、理不尽に大声で反論したりしない。生き残るために、自分を守るために、選ぶのは「徹底的な沈黙」か「早期離職という、静かな脱出」だ。
「この人に何を言っても、昔の常識を押し付けられて終わる」

「この理不尽に付き合っていたら、自分の市場価値が下がる」
そう判断したネズミたちは、象の周りから、静かに姿を消していく。
足元から若手が消え、残るのは自分と同じ価値観を持つ古い象だけ。象同士、昔話で盛り上がって、それなりに楽しそうにも見える。
だが実際は、時代の変化という「罠」に対応できない、極めて脆い組織の始まりだ。
若手が沈黙した職場には、新しいアイデアも、現場のリアルな課題も、もう象の耳には届かない。
そしてある日、組織が大きなトラブルや環境変化という「罠」にかかったとき――ベテランの怪力(過去の経験)だけでは、もう抜け出せない。誰も助けに来ない。
強者が弱者を軽視したツケは、最後に「強者自身の孤立」という形で返ってくる。

老いた象が「若手」と共存するための3つの視点

長年の経験を「若手を潰す凶器」にしないために。
ベテランが持つべき視点は、3つ。

① 自分の体重を、自覚する
社歴が長くなるほど、何気ない一言、不機嫌なため息ひとつの「質量」は、自分が思っているより数倍重い。
「今の自分は、ただ歩くだけで周囲を緊張させる象だ」――その自覚が、無自覚なパワハラを防ぐ第一歩になる。

②昔のルートは、もう地雷原かもしれない
何度も通ってきた「常識という名のルート」。それは、コンプライアンスも労働法も変わった今、一発アウトの地雷原かもしれない。
「俺の時代はこうだった」――その言葉が出そうになったら、一度止まる。「今の時代でも、これは通るか?」と、頭の中で検閲する。その癖をつける。

③ネズミの「新しい知恵」に、敬意を払う
寓話の結末で象を救ったのは、ネズミの「小さな鋭い歯」だった。
今の職場で言えば、若手のデジタルスキルや、タイパを重視する合理的な視点。そういうものだ。
「最近の若者は」と切り捨てるのではなく、自分にはない強みを持つ存在として、敬意を払う。それが、本当の信頼関係をつくる。

足元の声を聴くリーダーだけが、変化の森を生き抜ける

過去の実績や経験は、誇るべき財産だ。
でも、それに固執して足元を見ない象は、いつか時代の罠にかかったとき、孤独に倒れる。
これまで培ってきた大きな力は、若手を押しつぶすためじゃない。彼らが安心して動けるよう、背後のプレッシャーから守る「盾」として使うものだ。
上司の「常識」を、一方的に押し付けるのをやめる。
小さなネズミの声を聴き、その存在に敬意を払う。

それが、ベテラン社員が「老害」と呼ばれるリスクを避け、
変化の激しい新時代をチームで生き抜くための、一番賢いサバイバル戦略
なのかもしれない。

この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは個人だけではない」29歳のとき、前日まで食事を共にしていた取引先の経営者が、翌朝、組織不祥事の責任を背負い、訃報の知らせを朝刊の一面で知る。その後、自身も過酷な労働環境のなか、周囲のパワハラも加わりパニック障害を発症し、解雇を経験。自身の経験を原点に、ハラスメントを組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修、ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約200件の研修を企画・実施し、これまで約30万人以上が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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