オーストラリアのハラスメント学会で考えた、日本企業の課題【第4回】 「仲がいい職場」が危ないこともある―「偽りの心理的安全性」、最悪の上司のもとで生まれる逆境による連帯

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 前回は、数字や生産性を過度に優先する組織ほど、ハラスメントや不祥事を生み出しやすくなるのではないか、という話を書きました。今回取り上げたいのは、少し違う角度から見た職場の問題です。それは、チームの仲がいいことは、本当に良いことなのか、という問いです。

 一見すると、仲のよい職場は健全に見えます。部下同士が助け合っている。愚痴も言い合える。飲み会では盛り上がる。困った時には支え合う。しかし、オーストラリアの学会で聞いたある研究は、私に違う視点を与えてくれました。ダーク・リーダーシップのもとで生まれる、「逆境による連帯(Adverse Cohesion)」という考え方です。

ダーク・リーダーシップとは何か

 リーダーシップという言葉には、一般的に前向きな響きがあります。人を導く。チームを鼓舞する。未来を示す。組織を成長させる。しかし、リーダーシップには影の側面もあります。学会では、ダーク・リーダーシップという概念が紹介されていました。

有害で、非倫理的で、操作的なリーダー行動を指すものです。背景概念として、自己愛、マキャベリズム、サイコパシーといったダーク・トライアドにも触れられていました。

ただ、私が強く関心を持ったのは、リーダーの性格分類そのものではありません。むしろ、そのようなリーダーのもとで、部下やチームに何が起きるのか、という点でした。

最悪の上司のもとで、なぜ部下は団結するのか

 非常に興味深かったのは、有害なリーダーのもとで、部下同士が一時的に強く結束することがあるという指摘です。普通、チームの結束は共通の目標やビジョンから生まれます。しかしこの研究が示したのは別の結束でした。共通の目標ではなく、共通の敵によって生まれる結束です。

それが「逆境による連帯」です。

 上司が理不尽である。指示がころころ変わる。感情で判断する。部下を信頼しない。人によって態度を変える。そうしたリーダーのもとで、部下たちは次第に公式な場で本音を言わなくなり、代わりに裏でつながるようになります。

「あの人には気をつけた方がいい」
「また始まったね」
「みんなで何とか乗り切ろう」
こうして、リーダーを除いたメンバー同士の連帯が生まれます。

それは健全なチームワークではない

 ここで注意が必要です。この連帯は、一見すると良いチームワークに見えることがあります。部下同士が助け合い、情報を共有し、励まし合い、困難な状況でも踏ん張っている。経営者や人事から見れば、「あのチームは意外とまとまっている」「結束力がある」と映るかもしれません。

  しかし、それは健全な結束ではありません。組織を良くするための連帯ではなく、自分たちを守るための連帯だからです。前向きな目標に向かっているのではなく、有害なリーダーから身を守るために団結している。ここを見誤ると、組織は大きな判断ミスをします。

逆境による連帯は、短期的には強く見える

 この研究で特に重要なのは、逆境による連帯が短期的にはパフォーマンスを支えることがあるという点です。メンバー同士が支え合う。理不尽な上司に対抗するために情報共有する。互いに励まし合う。その結果、一時的には踏ん張る力が生まれます。
しかし、それはチームの生命力を前借りしているようなものです。本来なら顧客のため、組織の改善のため、未来のために使われるはずのエネルギーが、リーダーへの防衛に使われてしまう。これは非常に大きな損失です。

長期的には、創造性が止まる

 逆境による連帯が長引くと、チームは疲弊します。失敗を恐れるようになる。新しい提案をしなくなる。目立たないように働く。リーダーの機嫌を読むことが仕事になる。公式なコミュニケーションは死に、裏の会話だけが増えていく。これでは、イノベーションは起きません。表面上は仲がよくても、実際には組織の創造性が止まっているのです。

「仲がいい」と「健全である」は違う

 日本企業では、職場の仲の良さが重視されることがあります。和気あいあいとしている。チームワークがある。助け合いがある。もちろん、それ自体は悪いことではありません。
ただ、私はこの学会に出るまで、「仲がいい職場」を疑ったことがありませんでした。「上司は最悪だけど、メンバーはいい人たちなんです」「部長がいないところでは、みんな本音で話します」「現場は現場で何とか回しています」。こうした言葉を、私は今まで前向きな文脈で聞いていた気がします。踏ん張っている証拠だ、と。

しかし逆境による連帯という視点を知ってから、同じ言葉が違って聞こえるようになりました。それは組織が健全だという証拠ではなく、公式なマネジメントが機能していないサインかもしれない、と。

「心理的安全性」にも落とし穴がある

 最近、日本では「心理的安全性」という言葉を聞かない日はありません。安心して発言できる職場。何でも相談できるチーム。本音を言える雰囲気。もちろん、それ自体はとても大切なことです。

しかし今回の学会は、私にその言葉の落とし穴を教えてくれました。

一見すると仲がよく、何でも話せるチームでも、その結束が共通の目的ではなく共通の敵によって生まれていることがある。「上司が理不尽だから、私たちだけで支え合おう」という関係です。メンバー同士は本音を話し、助け合い、励まし合っています。しかし、その目的は組織を良くすることではない。自分たちが生き残ることです。

  上司から見れば「仲がいいチームだ」と映るかもしれません。しかし実際には、リーダーへの恐怖によって生まれた避難所になっている可能性がある。私はあえて、これを「偽りの心理的安全性(恐怖による結束)」と名付けました。

仲がいいことと、心理的に安全であることは、同じではありません。本音を話していることと、健全な組織であることも、同じではありません。

本当に見るべきもの

 チームがまとまっているか。成果が出ているか。離職者がまだ出ていないか。それだけでは足りません。
 
  見るべきは、その結束が向かっている先です。共通の目的に向かっているのか、それとも共通の恐怖に耐えているだけなのか。公式な場で本音が語られているのか、それとも裏でしか本音が語られていないのか。

 ダーク・リーダーシップの怖さは、単に部下を傷つけることだけではありません。チームのエネルギーの使い道を歪めてしまうことです。本来、未来をつくるために使うべき力が、リーダーに耐えるために消費されてしまう。これは、組織にとって大きな損失です。

おわりに

 今回の発表で印象に残ったのは、悪いリーダーのもとでも、チームは一時的に団結することがあるということでした。しかし、その団結は希望とは限りません。それは、組織が危険な状態にあることを知らせるサインかもしれません。

  あなたの職場の結束は、共通の目的に向かうためのものでしょうか。それとも、誰かに耐えるためのものでしょうか。この問いは、職場の健全性を見極めるうえで、とても重要だと思います。

次回も、さらにセッションで私が気になった内容を紹介したいと思います。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。 
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。
このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
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しかし、ときにそれは人を追い詰める
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このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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