会社という場所は、価値観の見本市である。
プロジェクトが行き詰まったとき、「やればできる。最後まで諦めるな」と背中を押す上司がいる。
その隣で、「無理なものは無理。現実を見よう」と冷静に言う上司もいる。
どちらの言い分も、聞けば頷ける。
だからこそ、部下は心の中でこう呟くことになる。
「で、どっちなんだよ」と。
今日はこの、職場という舞台で毎日のように起きている「どっちが正しいんだよ問題」を考えるうえで、なかなか面白い一冊を紹介したい。
ペズル著『どっちもある名言集』(ライツ社)。
この本の仕掛けは単純にして意地が悪い。
一つのテーマに対して、まったく逆のことを言っている名言を、平然と並べてくるのである。
読み進めるうちに、「正しい答えは一つではない」という、わかりきっているのに日々忘れられていく事実を、こちらの胸ぐらを掴んで思い出させてくる。
私はこの本を、単なる名言集としてではなく、職場で起きる価値観の衝突を読み解くための鏡として読んだ。
存外、使い出のある一冊だった。
「できる」と「できない」は、どちらも正しい
「やればできる」という思想がある。
ネルソン・マンデラの、何事も達成するまでは不可能に見える、という言葉に通じるものだ。
一方、太宰治には「出来ない事は、出来ないと言おう」という言葉がある。
前者は可能性を信じ、後者は現実を直視する。
どちらか一方が正しく、もう一方が間違っている、というほど話は単純にできていない。
問われるべきは「どちらが正しいか」ではなく、「いま、この状況ではどちらが必要なのか」である。
この違いに気づけるかどうかが、たぶん分水嶺になる。
「未来を見るか」「現実を見るか」
同じ構図は、未来をめぐる議論にも現れる。
ヘレン・ケラーは未来への夢を語り、ピーター・ドラッカーは現実から出発することの重要性を説いた。
夢だけを見ていては、仕事は一歩も進まない。
かといって、現実ばかりを見つめていては、新しい挑戦など生まれようがない。
組織には、未来を見る人間が必要である。
同時に、足元の現実を見る人間も必要である。
問題は、考え方が違うことではない。
自分とは違う考え方を、さっさと「間違っている」と決めつけてしまう、その手早さのほうである。
仕事は「好き」で選ぶのか、「嫌い」でもやるのか
仕事についても、真逆の思想が平然と同居している。
「好きなことで失敗したほうがいい」という考え方がある一方で、「やりたくない仕事こそ自分を磨く」という考え方もある。
若い頃には前者に共感していたのに、管理職になった途端、後者の意味が骨身に染みてわかる、ということもある。
あるいは同じ人間でも、置かれた状況次第で考え方はあっさり変わる。
つまり、私たちが「正しい」と信じているものの多くは、実のところ、その人の立場・経験・成功体験・置かれた状況が勝手に組み立てたものにすぎない。正しさというより、境遇の産物である。
なぜ、職場では「正しさ」がぶつかるのか
この本を職場という補助線で読むと、面白さの正体が見えてくる。
職場で対立が起きるとき、そこにいるのは必ずしも「正しい人」と「間違っている人」ではない。
むしろ、「自分なりの正しさ」と「相手なりの正しさ」が、ただ静かにぶつかり合っているだけ、というケースのほうが圧倒的に多いのではないか。
上司には上司の正しさがあり、部下には部下の正しさがある。
営業には営業の正しさがあり、管理部門には管理部門の正しさがある。
経営には経営の事情があり、現場には現場の事情がある。
ところが人は、自分の立場からしか世界を見られない生き物である。
そのため、いつの間にか「普通はこうするだろう」「社会人ならわかるだろう」「そんな考え方ではダメだ」と、自分の基準を「世の中の基準」に静かにすり替えてしまう。
人間関係の摩擦は、たいていこの瞬間に始まる。
ハラスメントも「自分が正しい」から始まることがある
ハラスメント研修の現場で、私は長くこの問題と向き合ってきた。
もちろん、すべてのハラスメントが価値観の違いから起きるわけではない。
しかし背景を辿っていくと、加害側に「自分は正しいことをしている」という認識があるケースは、決して少なくない。
「部下を成長させるために厳しくしている」
「これくらい、自分たちの時代は当たり前だった」
「本人のためを思って言っている」
「仕事なのだから、これくらいやって当然だ」
本人の中では、筋が通っているのである。
だからこそ厄介なのだ。
自分が間違っていると思っている人よりも、「自分は正しい」と確信している人のほうが、自分とは違う価値観に気づきにくい。皮肉なもので、確信の強さと視野の狭さは、しばしば比例する。
そして、立場や権限を持つ者の「正しさ」が肥大化すればするほど、相手は反論する余地を失っていく。
問題は「価値観が違うこと」ではない。
一つの価値観だけが絶対的な正解になり、ほかの価値観が声を上げられなくなること、それこそが問題なのである。
職場に「どっちもある」があるか
ここで視点を、個人から職場や組織へと広げてみたい。
「違う意見もあるよね」と言える職場だろうか。
上司と違う意見を口にしたとき、ちゃんと聞いてもらえるだろうか。
「私はそうは思いません」と言った人間が、面倒な人として扱われてはいないだろうか。
経営の方針に対して、現場から「それは無理です」と言えるだろうか。
もし、一つの「正しさ」しか許されない組織になっているとしたら、
問題は個人のコミュニケーション能力などという小さな話では済まない。
そこには上司と部下の力関係、職場の空気、心理的安全性、組織文化、そして経営が何を大切にしているのか、という根の深い問題まで絡んでくる。
ハラスメントは、人と組織を映す鏡である。
一人の問題行動だけを見るのではなく、「なぜ、この職場では一つの正しさだけが強くなったのか」まで踏み込んで考える必要がある、と私は思っている。
自分の中に「与党と野党」を持つ
『どっちもある名言集』の「おわりに」に、印象的な一文がある。
この本で大切なのは、深く共感した名言よりも、その隣にある逆視点の名言のほうだ、というのである。
私はこの考え方が、わりと好きだ。
人はどうしても、自分の考えを支持してくれる情報ばかりを集めたくなる生き物である。
だからこそ必要なのが、自分の中に「与党と野党」を飼っておくことだ。
「自分はこう思う。でも、逆から見たらどうだろう」
「部下から見たら、この指示はどう見えるだろう」
「自分の成功体験は、本当に今の時代にも通用するのだろうか」
「自分が間違っている可能性はないだろうか」
こうした小さな問いを自分の中に持つだけで、相手との関わり方は変わる。 私は、白洲次郎の「半分の人間に嫌われるくらいの仕事をするべき」という考え方にも共感する。
しかし、それに共感する自分がいるからこそ、反対側の考え方にも目を向けておきたい。
それが、この本を読んで改めて感じたことである。
「どっちが正しい?」から「なぜ、そう考える?」へ
職場で意見が対立したとき、私たちはつい「どちらが正しいのか」を決めたくなる。
しかし本当に必要なのは、勝ち負けを決めることではないのかもしれない。
「なぜ、あなたはそう考えるのか」
「なぜ、私はこう考えているのか」
そこに目を向けることである。
相手の価値観を理解することは、相手に同意することではない。
違う考えを持ったままでも構わない。
それでも、相手には相手なりの背景がある、と考えることはできる。
その余白がある職場では、意見の違いは「対立」ではなく「対話」になる。逆に、その余白が消えたとき、「自分の正しさ」が相手を追い詰める凶器に変わる。
今回紹介した『どっちもある名言集』。
ぜひ「おわりに」を読んだあと、もう一度最初からページをめくってみてほしい。
今度は、自分が共感する言葉ではなく、「自分なら選ばないほうの言葉」に注目してみる。
それは、自分とは異なる価値観を理解し、物事を一歩引いて見るための、地味だが効くトレーニングになる。
そして最後に、自分の職場について考えてみてほしい。
私たちの職場には、「どっちもある」と言える余白が、はたしてあるだろうか。
この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー
「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」
20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。
立教大学卒。アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
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