「心理的安全性」。
この言葉、もう聞き飽きた管理職も多いのではないでしょうか。
一体、この言葉を聞いて「うちはもう実現した」と胸を張れる経営者が、どれだけいるでしょう。
もちろん、本当に体現できている組織もあると思います。
けれど多くは、あの「挨拶運動」と同じ道をたどりつつある気がしてなりません。朝礼で唱和され、ポスターに貼られ、いつしか誰も本気で信じていないスローガンと化していく道です。
誰もが安心して意見を言え、困ったことがあれば気軽に相談できる職場。そんな組織が実現すれば理想的です。
しかし、私たちは安心して本音を話せる職場をつくれているでしょうか。
先日放映されていたNHK「クローズアップ現代」では、AIに孤独を打ち明ける高齢者を取り上げていました(2026年6月23日「病から老いの悩みまで”最期の相談”をAIに」)。
私には、それが職場で起きていることと重なって見えたのです。
家族や医師には話せない悩みをAIに話す高齢者と、
上司や同僚に本音を話せず、一人で抱え込んでしまう会社員。
「誰にも迷惑をかけたくない」
という気持ちから、孤独になってしまう構図は、とてもよく似ているように感じます。
完璧を求めるほど、人は孤独になる
番組の中で、4,000人以上の看取りに立ち会ってきた医師の小澤竹俊さんが、印象的な話をされていました。
現場で高齢者から最もよく聞く言葉は、
「迷惑をかけたくない」
だそうです。
相談することも、弱音を吐くことも、誰かに頼ると迷惑をかけてしまう。そう思ってしまうから、人ではなくAIに話しかける人が増えている。
それが現実なら、それは医療だけの問題ではなく、日本社会全体の課題だと話されていました。
私は、この話はそのまま職場にも当てはまると思っています。
「こんなことを相談したら迷惑だろう。」
「できないと思われたくない。」
「弱みを見せたら評価が下がる。」
このように考えて、本音を飲み込んでいる社員は少なくありません。
私たちが、AIより優れているのは「弱さ」にある
正しい答えを導きだすことについては、AIはますます優秀になっていくでしょう。
しかし、人の弱さに寄り添い、そばにいて共感する「たおやかさ」があるのは、人間だからこそできることです。
そして、この共感は、自分自身の弱さを自覚している人ほど深くなります。
私たちが、AIよりも優れているのは「弱さ」であり、
「人間は100点は取れない」
と小澤さんは言います。
この言葉に、効率化と最適化を求める現代のビジネスパーソンは、どれほど耳を傾けられるでしょうか。
これまで私たちは、100点満点のパフォーマンスを求め、弱さを「能力不足」と定義して排除してきました。
その結果、パワハラはなくならず、メンタルヘルスの問題も増え続けています。
部下が
「できました!」
と嬉しそうに報告しても、上司は
「じゃあ、次のタスクは?」
と冷徹に処理する。
そのとき、部下は悟ります。
上司は自分のことなど分かっていないし、分かろうともしていない、と。
心理的安全性は、理念ではなく関係性
番組の中で小澤さんは、
「医療の果たす役割は、幸せになること」だと言います。
そのためには、
「わかってくれる誰かがいること」が大切だと。
仕事も同じです。
「ウェルビーイング」
「心理的安全性」
どれだけ立派な言葉を掲げても、目の前の部下の感情の機微さえ汲み取れない管理職では、本当の意味での心理的安全性は生まれません。
「心理的安全性」という言葉を覚える前に、私たちがかつて飲み屋のカウンターで、グラスを傾けながら、
「先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど……」
と、泥臭く本音をぶつけ合えたあの夜を思い出してほしいのです。
あの湿っぽく、不器用で、しかし確かな人間味のあった関係性が、今のオフィスからは消え失せています。
「正の遺産」は、今日の対話から
SDGsやSWGs(持続可能なウェルビーイング目標)。壮大な国際アジェンダを語るのは、簡単です。
難しいのは、それを目の前の一人に落とし込むことです。
ゴールは、どこか遠くにあるのではありません。
今、あなたの目の前にいる部下との対話の中にしかないのです。
会社の理念やビジョンも必要です。
けれど、それ以上に大切なのは、今、目の前の部下にどう向き合うか。
その小さな「個別の対話」の積み重ねこそが、結局のところ、SWGsという壮大な目標を支える、いちばん足元の土台なのだと私は思います。
弱さをさらけ出せるリーダーになる
先に紹介した番組を見て、私は改めて確信しました。
これからの管理職に必要なのは、「完璧さ」ではありません。
部下に対して「弱さ」をさらけ出し、等身大の人間として感情を分かち合えること。
そして、部下の言葉にならない気持ちを汲み取る「共感の感度」を磨くことです。
この感度こそが、今ビジネスの現場で再注目されている「非認知能力」の真髄ではないでしょうか。
数値化できないし、一朝一夕では身につかないけれど、人と人とが関係を築く上で欠かせない力。
それを持つために、最も基本にして、最も重要なのが観察力としての
「挨拶」です。
もちろん、ただの「惰性」としての挨拶ではありません。
「今日も元気かな?」
「少し疲れているように見えるな」
と、相手の微細な変化を「よく見る」ための挨拶です。
弱さを認め合える関係は、日々の小さな関わりの積み重ねによって生まれます。完璧な成果を競う前に、目の前の相手の存在を認め、自分もまた一人の未熟な人間であることを差し出す。
そうして初めて、お互いの心が近づきます。
明日、部下の顔を見たとき、一瞬だけ立ち止まって、その表情の奥にある感情に目を向けてみませんか。
「なんだか少し嬉しそうだな」
と、相手の感情を想像しながら、挨拶をする。
そんな不器用で、けれど人間らしいやりとりこそが孤独を癒やし、ひいては次世代に「正の遺産」を残すための第一歩になると、私は信じています。
この記事を書いた人
藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー
「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」
20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。
アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ハラスメントは、特定の個人だけの問題ではありません。
社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。
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