日別アーカイブ: 2026年10月18日

ヤンキーの恋愛番組に、パワハラ上司の正体を見た

それぞれに、過去がある。
後悔がある。傷がある。
そんな男女が沖縄に集まり、14日間を共にする。
Netflixの恋愛リアリティシリーズ『ラヴ上等』シーズン2である。
番組そのものも面白かったのだが、私がさらに興味を引かれたのは、
その後にYouTubeで観た一本の解説動画だった。

犯罪心理学者の出口保行さんと婚活アドバイザーの植草美幸さんが、
『ラヴ上等』シーズン2で起きた出来事を、それぞれの専門家の視点から
読み解いていた。
それを観ていて、私は思った。

ここで語られている人間の心理は、パワハラが生まれる職場のメカニズムと、
驚くほどよく似ている。

「ナメられたら終わり」という世界観

ヤンキーの世界では、「メンツ」が重要になる。
ナメられたくない。引いたら負け。
だから、些細な一言に火がつくことがある。
言葉の中身だけではない。
「誰が、誰に、どの場で言ったか」に反応する。

これ、どこかで見た光景ではないか。

会議で部下が、上司の案に異を唱える。
内容はまっとう。むしろ正しい。
それでも上司は顔色を変える。
「お前、誰に向かって言ってるんだ」
怒っているのは、意見の中身にではない。
部下に意見されたという「構図」にである。
服装が変わり、職場という場所に移っても、同じようなことは起こる。

「総長」という立場が、例えば「部長」に変わっただけで、
上下関係へのこだわりが残っていることはないだろうか。

怒りの奥にあるもの

パワハラ行為者と面談すると、こんな言葉を耳にすることがある。
「ナメられたら、組織は回らない」
一見、勇ましい言葉である。
だが、その奥には別の感情が隠れていることもある。

ナメられることへの恐れである。
立場を失う恐れ。
能力を見透かされる恐れ。
若手に追い抜かれる恐れ。
そうした不安が、威圧という形で現れることがある。

だから私は研修で、怒りそのものだけを見るのではなく、
その手前を考えてもらう。
「あなたは、そのとき何を守ろうとしたのか」
ここに目を向けると、怒りの景色が変わってくる。

過去の人間関係は、その後にも持ち込まれる

YouTubeの解説で、もう一つ印象に残った話がある。
DV被害の経験が、その後の恋愛に与える影響についてである。
DVの被害を受けることで自尊心が低下し、何か問題が起きたときに
「自分が悪い」と考えやすくなる。
そして、相手の機嫌を損ねないように振る舞うことがある、という話だった。

出口さんは、これまで多くの非行少年や犯罪者を分析してきた経験から、
家庭の問題の影響についても語っていた。
もちろん、家庭環境や過去の傷があるから、将来パワハラをするという
話ではない。
私が興味を持ったのは、もっと別のところである。

人は、過去の人間関係の中で身につけた「生き方」を、その後の人間関係
にも持ち込むことがある。

これは職場でも同じではないだろうか。
特に、昭和の薫陶を受けてきた世代には、どこか見覚えがないだろうか。

「上司の言うことは絶対」
「口答えするな」
「若いうちは黙って言われたことをやれ」
「仕事は見て盗め」
「怒られて一人前になる」
自分もそうやって育てられた。
そして、それで仕事を覚え、管理職になった。

だから今度は、自分が部下に同じことをする。
「俺たちの頃は、もっと厳しかった」
「これくらいでへこたれてどうする」
本人にとって、それは必ずしも「攻撃」ではない。
むしろ、自分を成長させてくれた「正しい指導」だと思っていることさえある。

ここに、パワハラ防止の難しさがある。

過去に適応するために身につけた価値観が、立場と時代が変わったとき、
今度は誰かを追い詰めるものになることがある。

だから、「パワハラをしてはいけません」と教えるだけでは変わらない。

「あなたは、どんな上司のもとで働いてきたのか」
「そこで、何を当たり前だと学んだのか」
「その当たり前は、今の部下にも本当に必要なのか」

そこまで振り返る必要があるのだと思う。

沈黙は、同意ではない

そして、この構造にはもう一方の側がある。
強い叱責を受け続ければ、部下の側も学習する。

意見すれば不機嫌になる。
反論すれば、さらに叱られる。
人前で否定される。

だったら、何も言わないほうがいい。
口を開くたびに損をする、と。
そして職場から異論が消えていく。
上司は誤解する。
「うちのチームはうまくいっている。誰も文句を言わない」
しかし、沈黙は同意とは限らない。
言いたいことがないのではなく、言っても無駄だと学習した結果かもしれない。

「これくらいなら」が、境界線をずらしていく

そしてYouTubeの解説で、私が最も興味を引かれたのが「モラルスリップ」
という話だった。
番組では、お酒を飲んではいけないルールの場面で、
「ちょっとくらいなら」
「これくらいならわからないだろう」
とルールを破ってしまう場面が取り上げられていた。

小さな逸脱が許される。
何も起こらない。
すると、次はもう少し先まで行く。

このメカニズムを見た瞬間、私はパワハラと同じだと思った。
「これくらい叱っても大丈夫だろう」
「この程度なら指導の範囲だろう」
「自分も昔、同じように指導された」

最初は、少しきつい口調。
次は、皆の前での叱責。
さらに、人格に踏み込むような一言。
少しずつ境界線がずれていく。

これは、ハラスメントだけの話ではない。
例えば、会社のお金に手をつける不正もそうかもしれない。
「この程度ならバレないだろう」
「あとで戻せばいい」
「今回だけなら」
行為の種類はまったく違う。
しかし、メカニズムを見るとよく似ている。
「これくらいなら大丈夫」という小さな自己正当化が、
次の「これくらい」を生んでいく。
だから私は、重大なハラスメントだけを見ていてはいけないと思う。
その前に、必ず小さな境界線のズレが起きていないだろうか。

裁かれるべきは、本人だけか

ここで、人事・コンプライアンス部門に問いたい。
事案が起きる。
行為者を処分する。
研修を受けさせる。
それで、再発防止になったと言えるのか。
なぜ、誰も止めなかったのか。
なぜ、上司の上司は気づかなかったのか。
なぜ、「数字を出しているから」で済まされてきたのか。
成果を上げる管理職の暴言を、組織が黙認する。

これは黙認ではない。承認である。

「その程度なら構わない」という、組織からのお墨付きになるからだ。
問われているのは、組織が「人」と「数字」のどちらを優先しているかである。

「多少問題があっても、数字を出しているから」

この一言を組織が許した瞬間、管理職は学習する。
結果さえ出せば、このやり方は許される、と。
問題の管理職だけを切り離して処分しても、土壌が残れば、
別の誰かが同じことを始める。

行為者だけの問題に見えて、実は、その行動を許してきた
組織の問題でもある。

不良たちは、正直である

『ラヴ上等』の参加者たちは、感情をむき出しにする。
ぶつかり、怒り、ときには泣く。
見方によっては、誠実ですらある。
職場のハラスメントは違う。
スーツを着て、敬語の衣をまとい、「指導」という
名札をつけてやってくる。

だから見えにくい。だから厄介なのである。
人を見るだけでは足りない。

その人が、どんな価値観を身につけてきたのかを見る。

その人を許してきた職場を見る。

その職場をつくった組織を見る。
「あの人は、ああいう人だから」
「昔から厳しい人だから」
「数字を出しているから」

そう言って目を逸らした瞬間、組織は次の「これくらいなら」を
許すことになる。

あなたの職場では、その小さな違和感に誰が気づき、誰が声を上げ、
誰が止めることになっているだろうか。

この記事を書いた人

藤山晴久
株式会社インプレッション・ラーニング 代表取締役
研修プランナー/講師/産業カウンセラー

「人を追い詰めるのは、個人だけではない。」

20代の終わり、まだ駆け出しだった頃、ある取引先の経営者と昼食をともにする機会があった。60代、場数を踏んだ経営者と対等に渡り合うにはまだ早すぎる年齢だったが、その方は若輩者の自分に、惜しみなく時間を割いてくれた。その方が、昼食からいくらも経たないうちに、この世を去った。自分はその事実を、伝聞という形でしか知ることができなかった。「昨日まで隣にいた人が、今日はいない」―その事実は、今も胸に残っている。
その後、自身も深夜に及ぶ過酷な労働環境と、さまざまな立場の人間関係の中で受けた本格的なハラスメントの果てに、心身の均衡を崩した時期がある。ちょうどその頃、組織の整理に伴い、職を離れることにもなった。
この二つの経験を原点に、ハラスメントを個人の資質の問題ではなく、組織風土・ガバナンス・リスクマネジメントの視点から分析し、研修として提供している。

アンダーセンビジネススクール、KPMGあずさビジネススクールにて法人研修の企画営業マネージャーとして、一部上場企業を中心にコンプライアンス研修・ハラスメント研修を企画。2009年、株式会社インプレッション・ラーニングを設立。企業研修プランナーとして、管理職向けハラスメント研修を中心に活動し、研修講師としても登壇。年間約400件の研修を企画・実施し、これまで数十万人規模が受講。

最後までお読みいただきありがとうございました。

社会の変化、世代間の違い、そして組織の文化の中で生まれるものです。 このブログでは、社会・組織・個人という三つの視点から、 
ハラスメントの背景や構造について考えています。
職場には、「わかっているはず」という思い込みや、
言葉にしなくても伝わるはずだという空気があります。
しかし、ときにそれは人を追い詰める
「以心伝心の暴力」 になることもあります。
このブログでは、そんな職場にある“見えにくいズレ”をほどきながら、
よりよい対話と関係を生み出すヒントを発信していきます。
職場の「わかっているはず」を、言葉に変える。
そんな思いで、このブログを書いています。